20/09/2009 ソワレ
「おカネで正義が買えるか」という命題で、しかも90分一本道のストーリーからなる戯曲なので(ちなみに案の定戦後ドイツ戯曲ときた)、ほんと、理屈っぽい退屈な芝居になってもまったく仕方がないところなのだが、そういう芝居を、フィジカルな見せ方、舞台の作り方などを通してあえて「ゆるめに」提示してみせて、最後まで見せきってしまうところに、鳥の劇場が鳥取で芝居を作っていることの成果のようなものを感じる。
2年前にブラジルの劇団の「かもめ」を観た時に、静岡SPACにはブラジルからの移民が沢山きていて、その観客ときたら、本番中携帯でしゃべるは(通話相手はおなじ劇場内の友達)席移動するは、とんでもなく行儀悪いんだけど、でも、舞台上で起きていることへの反応は良くて、舞台上の役者達もそういうところで集中乱れず「劇場」は成立していて、「あぁ、こういうしたたかさ・しなやかさって、日本の現代演劇にはないよね」と感じたのを思い出す。
東京で芝居観てるとどうしても「芝居道(しばいみち)」みたいになっちゃって、眉根を寄せて芝居観て、どうかすると語りに入っちゃったりするのだけれど、そうじゃない楽しみ方ってもっとあるはずで、いや、「芝居道」を否定するわけではないし、客席側に大変な労力を期待する芝居があっても全然いいし、なによりやっぱりオレにはオレの観かたがあるし、というようなことを考えた。ただ、鳥の劇場の客層に育てられた芝居がガラパゴス化せずに順回転で進化したら、すごく面白いことになりそうな気はする。
鳥の劇場、劇場のロケーション、運営、レパートリー、客層、雰囲気、本当にいろんなインパクトのある演劇空間である。
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