01/12/2007 マチネ
飴屋法水おそるべし。2時間半かけて東静岡まで出かけた甲斐があった、と言わせる以上のものがあった。宮城聰さんが劇場のドアの前で「いらっしゃいませー」と笑顔で言っているのを見られただけでも、「甲斐があった」と言えなくもないが。
平田オリザの戯曲は、実は非常に厳しく出来ていて、タコな演出家が上演するとまるっきり芝居が壊れてしまう仕掛けになっている。その意図がわかっ ていて、かつ、演出家に力が無いと、今度はただの制約の大きい芝居になってしまう。そこを飴屋氏がどう捌くのか。舞台上にバトンが降りている幕前を見なが ら、僕は、
「外していたら、それはそれで大笑いして帰ろう」
と、秘かに非常に消極的なことを考えていた。
(ここから先、若干ネタバレ気味です。注意してください)
が、あにはからんや、素晴らしいできばえ。飴屋氏、平田戯曲を現代口語演劇として、まずは成立させてしまう。その割り切り。かつ、高校生18人をしっかりオーケストレートする眼の確かさ。花道の使い方も含めて、まずはきっちり押さえた。
そして、僕は、転校生、岡本さんの登場を見て、涙が止まらなくなってしまった。ヤラレタ。
その後も、女子高生への手綱を緩めず、おセンチに流れず、かつ飴屋カラーを見事に出していたと思う。
あ、あ、言い忘れたが、「転校生」の戯曲も、もちろん、すっごく素晴らしいんですよ!これも1つ「古典」と呼ぶにふさわしく、ホールの物販でこの本が売られていなかったのは主催者の重大な手落ちとして挙げられよう。
1994年の初演から13年。初演当時、僕はどちらかといえばおじさんよりは女子高生に近い年齢だった(のつもりだった)。今では舞台上に娘と同 い年の高校生が立っている。その間に、平田の戯曲が、こんな風に上演されるようになった。1987年に、「20年後、平田戯曲が飴屋法水によって演出され ている。場所は某県の公共劇場で、キャストは全員高校生である」といったら、誰も信じなかっただろうな。
本当に、感慨深い。そして、そういう舞台の初日を目の当たりにすることが出来たことは、本当に、わがことのように誇らしい。
(ここから先は、今回の「転校生」を観ることができないことが確実な方のためのモロネタバレなコメントです。)
岩井秀人は志賀廣太郎を大学生にした。NeverLoseは、「朝起きたら中学生が30男になっていた」。この転校生では、白髪の女性岡本さん が、朝起きたら女子高に転校することになっていた! 驚いた!その違和感。そもそも転校生が抱く「場」への違和感に加えて、年齢さ、高校生としてのリアル さ、将来や進学について語る時の「相手はどこまで自分が言っていることを共有できているのか?自分はどこまで相手に興味があるのか?」の間合いの気まず さ。
「本当の」女子高生を使っていたら、ひょっとしたら群像劇に埋もれていたかもしれない感情の動きが、「ニセ」女子高生を使うことで却って浮き出 していた。いや、ほんと、こういう乱暴なことを、平田戯曲のフレームを押さえた上で出来るとは。だって、飴屋氏が現代口語演劇の中で育った人ならともか く、東京グランギニョルですよ。そりゃ、びっくりしますよ。
冒頭の台詞のないシーンも美しいし、最後、みんなで「せーの」で跳ぶシーンも美しい。原作には確かなかった飛び降り自殺のシーンも、全体の構成を崩すことなく、機能していたと思う。
1つ難点を挙げるとすると、途中挿入される、アメリカ人の女の子の演説シーン。そこだけは間延びするし、変な意味がつく。耳につく英語だけ繰り返 して流していたけれど、トータルで見ても、あんまり大したこと言ってないし、ちょっとなぁ、という気はしました。が、それを除けば、本当に素晴らしい芝居 で、ホント、月並みだけど、感動しました。
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