13/12/2007 ソワレ
やっと、三月の5日間、初見である。
六本木ヒルズのたかぁーい建物を見上げながら急ぐが、案の定道を間違える。やっとのことでたどりつくと、ぽっしゅな美術館のどぽっしゅな職員に迎 えられて、かなりな場違い感だ。美術館の会員以外の人間は、部外者として排除しようという気合が満ち溢れている。当日パンフに岡田氏が「ウィルスみたいな 存在」と書いていたが、言いえて妙で、まさに、都市のビルにおける視線の防犯=免疫機能たるや、大変なものだ。ま、わしも会社帰りのスーツ姿で外見からす りゃ「排除する側」なんだけどね。
と、横道にそれたが、公演会場は美術館の小ホール、パンチカーペット張り、舞台の上下にイントレを組んで、以上。岡田氏、開演前の挨拶で「コンテクスト」ということを言っていたが、まさに、小劇場の芝居を観るコンテクストからはかなり遠い。
開演前の挨拶といえば、開演前に学芸員と作・演出があわせて3~4分挨拶する芝居も珍しい、というか、初めてだ。学芸員の人がネタバレしないかと はらはらしたが、さすがにそれはなかった。とまぁ、全体の雰囲気が、何だか、「チェルフィッチュ」なる金魚を森美術館の金魚鉢に放り込んで、周りからぽっ しゅな観客があーだこーだ言いながら指差して眺める、そういう感じがしたのだ。...まぁ、8割がたは、田舎もんのわしが六本木ヒルズに気後れしているそ の代償を、森美術館に当り散らしている、という構図が正しいと思うが。
と、横道にそれまくりだが、三月の5日間、大変面白い。エンターテイニングである。方法論に驚くのはもう止めようと思っていたのだけれど、そうしても、なおかつ面白い。それは折り紙つきだ。
しかしまぁ、ラブホにいる2人⇔遠くで行われている戦争。あぁ、この間に戦争終わってないかなぁ。という気分は、実は、そんなに特殊な感じではなくて、
① 1週間インフルエンザで寝込む会社員⇔会社では相変わらずビジネスが続く。あぁ、オレが寝込んでる間に、懸案のあの案件、終わっていないかなぁ。(終わらん、つぅの)
② 戯曲が書けずに自宅で煮詰まる座付き戯曲家⇔稽古場では稽古が続く。あぁ、なんだかオレがいない間に、芝居が出来上がっていないかなぁ。(出来上がる訳ない、つぅの)
③ 夏休み、ぼぉーっと高校野球観ている小学生⇔宿題全く手がついていない。あぁ、何だか小人がやってきて宿題終わってないかなぁ。(ちみ、あますぎよ)
という気分である。かなり普遍な感覚である。それでは何故、岡田氏は戦争とラブホを選び取ったのだろうか?
また、その身振りである。足をさすったり、手をいじったり、ひねったり、振ったり。この動きの意識したデフォルメは、これらも実は、鼻糞をほじっ たり、耳を引っ張ったり、お尻を掻いたり、という動きと、等価のはずで、そうすると、何故岡田氏は、鼻糞をほじらせたりしないのだろうか?
要は、長々と何が言いたいかというと、この芝居は、もしかすると、
「11月の5日間、と題されて、風邪を引いた会社員が自分が寝込んでいる間に案件が片付いていたらなあと夢想しながら無為に過ごす、その姿を、言葉に寄りかからず、鼻糞をほじったりお尻を掻いたりしながら当世のサラリーマン言葉で語る」
芝居だったかもしれない、ということだ。で、そんな芝居だったら、岸田戯曲賞を取っていなかっただろうし、森美術館にも呼ばれなかっただろう、ということだ。
いや、別に、岡田氏を貶しているわけではないよ。いいたいのは、この芝居は、過激なばかりでなく、ある程度観客がとっつき易いように意識をして書かれている、ということです。
なぜなら、岡田氏の意識している問題意識を人に伝える際に、「鼻糞をほじる会社員」よりも「ラブホにいる若者」の方が受け入れられ易いだろうから。
で、もっと言うと、何を言いたいかというと、この作品を、「イラク戦争」という狭くて時として安っぽくなりがちなコンテクストで捉えて傑作とか言 うのはやめよう、ということなのです。本当は、そういう個別を超えてスッごく面白く出来ていて、岡田氏をもってすれば鼻糞会社員でもやっぱりものすごく面 白く出来ていたはずなのだけれど、そこは敢えて「戦争とラブホ」で切り取った。そういうことなのじゃないかと思うのです。
だから、結論じみたことを言えば、この「ウィルス」が、もっと過激に、スマートに、観客の日常の襞にまで入り込んで、僕達の暮らしを脅かしてくれることを、僕は願うのです。
桜美林の「ゴーストユース」は、その意味で、「三月の5日間」ほどエンターテイニングではないのかもしれない。でも、彼らによって、僕は確かに脅かされた、気がした。そういうことなんです。
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