2007年7月1日日曜日

遊園地再生事業団 ニュータウン入口プレビュー

30/06/2007 マチネ

いや、毎回、「方法論」の問題意識に触れるのが楽しみな芝居です。

舞台上のコミュニケーション一つとってみても
・チェルフィッチュの権化山縣氏、出てくるなり自転車に話しかける。話しかけられるはずの夫婦は、その1分後に出てきて、同じ会話が繰り返される。
・スクリーンの中で役者演技する。そのスクリーンの方を向かずに面を切っている舞台上の別の役者、スクリーンの中と会話する。
・スクリーンの中の山縣氏以下何名か、いきなり青年団モードで舞台上の役者に語りかける。身振りの無い山縣氏が新鮮。
・アンティゴネーとイスメネ、舞台上で互いに面をきったままコミュニケーションする。でも、そのコミュニケーションは実は鳩男によって運ばれている。
・もちろん、スタンダードな舞台上の対面会話もあるよ。

こういう、いろいろなモードが切り替わり入り乱れる中から何が抽出できるのか、と頑張って考えてみても、その場では置いてきぼりをくらったまま、放っておくうちに「やられた」という感覚だけが残るのが常なのだけれど。

今回、台詞の中に初めて「神戸の事件」が言及されて、それでやっと、この芝居が神戸の事件のことであると理解できた(遅い!)のだが、小生神戸の 事件の頃は日本のマスコミから遠く離れたところにいたので、予備知識/観客として共有されているはずの知識が欠落していて、ちと苦しかったかも。
ただ、まあ、本公演まではまだ間があるし、「ノイズ文化論」も買って来たし。

本当に、本公演が楽しみです。

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