30/06/2007 ソワレ
岸田理生さんの芝居を観たことは、1度あったかもしれない。なかったかも知らない。いや、あったような気もする。80年代後半、スタジオあくとれにお邪魔したような気もする。気がするだけかもしれない。
少なくとも、1987年に糸地獄の糸車を借りにお邪魔したことは、ある。
いずれにせよ、僕にとって岸田芝居というのは90年代に至らず、80年代のにおいのまま止まっていて、今回アゴラに行ってみたのも、その80年代のにおいを嗅ぎに(確かめに? 見物に? 体験しに?)行った、ということなのです。
で、アゴラの雰囲気は、すっかり懐かしくなっていた。全席ベンチ椅子だったり、3階ギャラリーに12,3人も入ってみたり、何だか、この手の芝居がアゴラで観れた、というのも久し振りで、
それでは、結局このユニットRの公演には「懐古」とか「昔のアングラぽさ」とか、そういうものしかないのかと思いきや、
若い客もいて、かつ、年取った客も若い客も、この、言い方によっては古臭いところから蘇ってきた「岸田理生古典芸能」を、嬉々としてみている。
それは、一体、岸田戯曲が現代性を失わずにいるからなのか、それとも、現代性の有無に関わらず、愛されていればトシの差なんて、ということなの か、どちらかといえば後者のような気はするのだけれど、でも、そこで気取りが無いということは最小限「愛される」理由としては成立する。
で、岸田戯曲が「愛されている」という前提に立つのなら、そしたら、もちょっとモダンな演出をかけて見るのも一興かもしれない。「ぽさ」を削ぎとったところに何が残るか、それでもなお岸田戯曲は愛されるのだろうか、それをそのうち見てみたい。
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