2007年7月18日水曜日

蜻蛉玉 たいくつな女の日

17/07/2007 ソワレ

前回の蜻蛉玉を見て、印象として残っていたのは、
「島林愛のエゴの出し方は、何ともかわいい」
という、何とも自分の中でも説明つけがたい感想で、今回も、タイトルからして「たいくつな女の日」てなもんだから、島林氏のエゴがどんな風に芝居に反映されるのかが楽しみで、観に行ってしまった。

で、やはり、この芝居に登場する島林の分身たちは、みな、わがままだったり、エゴが前に出てきたり、扱いづらかったり、説明がつかなかったり、そして、何ともかわいかったのである。
この際、「かわいい」という感想が、男性から発せられる場合、
①男から見て御しやすい、という、ある意味ナメた感情
②男から見て「理解しがたい」ものを「かわいい」でごまかそうとする感情
③何でもいいから愛しちゃう感情
等々、色々あるのだろうが、こと、この芝居に関して言うと、(僕なりには)おそらく、
④もっと見たい、しりたい、
ということで、これは即ち、「今度の芝居も観てみたい、そこで、島林のエゴに触れてみたい」ということである。

そこで、「あたしを観て観て、受け入れて」という本谷風のゴリ押しをしないで、1時間10分でプイッと芝居を終わらせてしまうところや、色々なス テージでの人間模様にはわき目も降らずただただ螺旋階段を登り続ける島林の露出、といったおくゆかしさ、が、(僕にとっては)絶妙の引きとなっている。

もちろん、「何が描かれているか」だけで芝居は終わらなくて、舞台への載せ方の巧拙を論じることも必要なのだけれど、で、その意味で、あの、ひた すら登り続ける島林、というコンセプトも面白いのだけれど、今日のところはそういったところを棚上げにしておいて、また次回観に行こうかな、なんて思った りしています。

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