2010年6月30日水曜日

パラドックス定数 元気で行こう絶望するな、では失敬

27/06/2010 マチネ

野木萌葱氏、三鷹で大技に挑んだな、という印象。
その心意気は、買う。かつ、そんなに上手くいっていないこともなかったと思う。が、本来の持ち味であるところのディテールの処理の仕方に不満が残って、正直もったいない。


<以下、ネタバレです>

高校時代の記憶と大人になってからの現在とを並べてみせる話は世の中に沢山あるだろう。が、記憶を並べておいて、それを現在を軸にしてひっくり返して未来にぽいっと投げ出してやろうという試み、しかもその軸の真ん中の切り口に「芝居」を持ってきてやろうというのは、なかなかの大技だなぁと感じた。このところ「記憶」を過去で完結させたままにしてしまってそこから先がない、みたいな芝居をいくつか観てフラストを感じていただけに、なおさらである。また、パラドックス定数で過去に拝見した公演も「過去の事件」の閉じた世界をきっちり仕上げることが多かったので、そこからまた一味違う芝居をやろう、という意気を感じたわけである。

でも、まぁ、細かいところであれっと思うところは結構あって、例えば男子高校生20人のもてあまし加減を観ると、うーん、こういう汗臭さを力でねじ伏せる勘所は、(ほんとはこういうところで比べちゃいけないんだけど)田上豊に一歩譲るなと思う。男子高校生を扱う時には、どうしても、汗とか涙とか小便とか、そういう臭いものをさらけ出してこそ、と思うし、「頭をしばく」アクションも、もっと激しくないとなんだか解放されるものがない。たまに出てくるネコパンチではフラスト溜まる。

これは、野木氏をこき下ろしているんではなくて、「スタイルとして」野木氏の芝居の迫力は「押し殺す」方向でこそボルテージ上がるんではないかと思うってことなんだ。三億円事件、怪人21面相、東京裁判。そりゃあもう、今回だって、何かを押し殺してる男子高校生20人、あの面子揃えたら、ちびっちゃうくらいすごい芝居ができたに違いないと思うのだ。しかも野木氏の得意のゾーンで。

というわけで、野木氏の得意ゾーンと、狙った大技のギャップが色んなところでムリを生じさせていた気もする。もちろん力のある作・演出にてだれ20人揃えてそれは贅沢なことなのだけれど、色んなムリ巾を最後の大柿氏の長台詞に託すのはいかにも苦しい。もう一度、自分の世界に引きなおして挑戦してはどうか。「押し殺し」バージョンで観たい。あぁ、じじ臭く説教臭くなっちゃうのは嫌だけど、ほんと、なんとも勿体無かったんだ。

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