06/06/2010 マチネ
邦生クンや木ノ下先生が歌舞伎の観客についてアツく語っていたことの意味がよーく分かったよ。前半、周囲に寝息とイビキの気配を感じて思わず見回せば、まあ、周囲16人いれば5人は熟睡していたね。上演中に甘ーいクリームやアップルジュースの臭いはぷんぷんするし、でも最後、江守徹さんが一人になって、何だかラストっぽくなると、みんなちゃっかり起きて舞台を見守っている。芝居がハネたら「やっぱり江守さんは良いわよね。おはなしは何だかわからなかったけれど」みたいなことをお友達と話しながらお家に帰るんだろう。
あ、誤解しないでほしいのは、ここで「文学座の客層はひどい」と言っているのではないという事。言いたいのは、「文学座の劇場では、小生が知っている小劇場の劇場と、創り手・観客にそれぞれ求められている『お約束』の体系が異なっている」ということである。
だから、平田オリザが文学座に戯曲を書き下ろす時、それは、なにがどうあろうとも「異種格闘技」にならざるを得ないのだ。これをもって、平田の演劇が新劇に近いという判断を下すのは、とっても間違っていると思う。実際、青年団ではこの戯曲上演しないと思うし。既成の青年団用の戯曲では文学座では使えないから新作を書き下ろすのだろうし。
まぁ、その異種格闘技感の中にあっても、前回平田が書き下ろした「風のつめたき櫻かな」は、初戦ということも手伝ってか、ガチンコ感漂っていたのだが、今回はどうやら文学座ルールに歩み寄った(擦り寄ったでは決してなく)感がある。同時に、旧作「この生は受け入れがたし」「隣にいても一人」の切り貼りも使って(だって自分の戯曲だし、小津への敬意は昔からだし、使って差し支えないものは何でも使いますよ、ということだろうけれど)、余裕のある構え。うーん、こういうのもありですか。あり、なんでしょう。どうやら。
文学座の「お約束」の中でのベテラン俳優陣の強さには目を見張るものがあった。特に、女優2人。文学座ルールの外ではどうだか知らないけれど、ホームでの戦いではルールを知り尽くした上で見事に空間を支配する。生意気を言う積もりは無いけれど、大したものだ。
そうやって思い返すと、今回の「異種格闘技」は、文学座ルールに近いところで、文学座に軍配が上がりやすい設定だったのだろう。もう少し、戯曲の構造が「文学座のルールを揺るがしているかもしれない」ように見えるとよいなー、とも期待していたのだけれど。まぁ、1回・2回で勝負がつくようなものでもないだろう。きっと。
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