2010年6月11日金曜日

快快 SHIBAHAMA

05/06/2010 ソワレ

快快が、古典落語「芝浜」を材料に「一年、いろいろやってみたり考えたりして」舞台に上げたのは、現代の僕らに芝浜シチュエーション当てはめたらどうなのか、どれくらい芝浜の物語って共有できるものなのだろうか、という課題に、ド真ん中直球で答えてみせようというバラエティ。はちゃめちゃやっているように見せかけて、実はほんとに生真面目でロジカルなプロセスを踏んでいることを思い、何だか、その場では気安く楽しんでいたことが、後から「わるかったかなー」と思えてきたりもしたのだ。

冒頭、ガジェット使ってテクストと身体を「ぶった切り/再構築」してみせる試みにはハッとする。が、これだけでは5分、長くて10分が限度。そこから始まるバラエティショー。ウェーブあり、ゲームあり、キャバクラあり、じゃんけん大会あり、格闘技がちんこ対決あり、と、パーツパーツをつまみ食いすれば「大暴れ」「ドンちゃん騒ぎ」と見え、芝居の枠をはみ出しているといっても差し支えないのかもしれないけれど、いや、待てよ。芝浜の物語のパーツを個々に取り出して、そこに現代のカウンターパートを当てはめて舞台に上げてみるというプロトコル自体は極めてロジカルで、構成ともども「すっごく考えた」結果である。少なくともそういう風に見えた。「ノリ」があってそこにロジックを後付けしたようにはとても見えなかった。

そのロジックの生真面目さに加えて、今度はそれを「突き詰めた」時の加速度についてもおんなじことを考える。特にコージ君のガチンコ格闘技。3日ハイ体験記。いや、それは、真剣に本当に心配ではあるんだけど、でも、それを差配する篠田千明の眼はとっても冷静で(いや、眼がすわってただけなのか?)、絶対に誤った方向に行かないという「ロジカルな」安心感が同時にあった。それをどう捉えればよいのか、自分でも困ってしまった。

とは言ったって、快快のおもてなしぶりは本当に、いや、それこそ真面目に「楽しませよう」という態度があって、仲間うちでない人たちにも間口がひろーく開いていて、それは毎回毎回涙出るほど嬉しいところ。

だから、上で書いたような理屈っぽいところでうじうじするのが、小生のような「もてなされ下手」のいけないところだなぁと思う。遠くの客席にいる青山社長は、本当に、大人に、かっこよく、自分のペースで、SHIBAHAMAを楽しんでいた。羨ましい。あんな大人になりたい、と思ったことである。

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