26/06/2010 マチネ
三条会による「失われた時を求めて」全7回中、今回は第2回。
<以下、ネタバレあります>
今回は前回よりもぐっと分かりやすくて、立ち上がりのフェードルから中盤、少女が分厚い文庫本のページを繰るところ、ラストの少女たちの戯れまで、ドライブ感もたっぷり。
面白かったのは、小生が「あ、ドライブかかってきた」と感じた中盤の「見出し飛ばし読みコーナー」で、娘は昏睡状態に陥ったらしい。確かに、そのコーナーでは「眠るなら眠ってしまえ」みたいなものも感じたのだ。海辺に波が寄せては引く映像流しっぱなし、役者が動きを止めて文庫本読みっぱなし。これでは眠りに落ちる観客を責めることはできまい。と思ってみていたら存外自分は眠らないでいられたのだが。
そのドライブ感を起点にして、テクストの肌触りが舞台上に浮き出してくる。あたかも文庫本のページに印刷された黒いシミが、ブツブツと音にならない音を立ててページから盛り上がってくるような、そして、「発音される、理解される、そういう抽象なもの」ではなく、「テクストとして実体を持ち、ブツブツと音にならない音を立ててそこにある」ものに成り上がろうとする「テクストの」意志を感じて、ちょっとだけ震える。近藤祐子のテクスト流し読みは、子供の頃・思春期の頃に長い本を飛ばしながら読んでいったときの、そのブツブツが切れ切れに盛り上がりながら後方に流れていくドライブ感を思い出させて、僕の記憶は田舎の夏休みへと飛ぶ。マイクで連呼される「わたし」は、両親の実家にいて少女たちとの出会いも一切無く夏休みを過ごすわたしであり、ページを繰りながらうたた寝をするわたしである。
そのわたしの記憶の上に、ニセモノの膜を薄く一枚敷いて、偽りの記憶を埋め込んでやろうというテクストの悪巧み。それは私自身からすれば、ウソだと分かっていても、その肌触りがあまりに気持ちよいために手放したくないような、そういう悪巧みに、三条会はあからさまに加担している。
第3のコース、楽しみになってきた。
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