12/06/2010 マチネ
非常にエンターテイニングでおもしろいパフォーマンスだった。問題は、作者・パフォーマーのジーナ・エドワーズが、自分のパフォーマンスのどこがおもしろいかを理解していないことだろう。おそらく、二匹目の泥鰌はない。だからこそ逆に、今回の上演をみれたことはすごく幸運だったといえるかもしれない。
北ロンドンに住む47歳のパレスチナ人の男、カリブ系の双子のティーンエイジャー、80歳を超えたカリブ系の退役軍人。その組み合わせのバランスが絶妙。また、役から役へとシフトするときのうねっと変わるところが、落語の(あるいは岩井秀人の落語の)動きにも似て楽しめる。さらに個人的なことを言えば、73番のバスに乗ってイズリントンからシャフツベリーアヴェニュー、ピカデリー、トラファルガースクエァからサウスバンクまで。ロンドンの景色が見えてその中に犬をつれた47歳の中東の男が見えて、それだけで涙がでた。テクストが描く情景に、泣かされたのである。
ところが、そういうバランスや動きのおもしろさについてエドワーズが必ずしも自覚的でないことが、アフタートークを聞いていて見えてきてしまう。何故パレスチナ人なのか?何故退役軍人なのか?何故コソボ人ではなくてナイジェリア人ではなくてアイリッシュでもないのか?おそらく、かなり適当に、考えずにそれを選びとっているように思われた。また、役と役の間のブリッジのおもしろさについても、演出のシュラブサル氏にはわかっていても、彼女にはわかっていないように思われて、がっかりしたような、いや、逆に、巧まざるところでこんな素晴らしいパフォーマンスができあがってしまうところがさすが英国パフォーマンスアートの層の厚さ・力強さというべきなのか。
「社会批判ワン・ウーマン・ショー!」「監視カメラの王国」というSPACのキャッチコピーは、その意味ではかなり外れていた。良い意味で。
エドワーズの監視カメラに対する見方もまるっきり素直で(言ってみれば鴻上尚史の監視カメラものと同じくらいナイーブでつまらない動機なのではないかとも思われるけれど)、でも、そこに出てくる人たちの描写は、思いっきり考えていなくて思いっきりベタでしかも地に足が着いていて、力強い。自然にご近所のことを演じたら社会派になっちゃうのが、ロンドン芝居の強みってことかもしれない。いや、でもそんなこといったら、日本でだって、充分近所のこと演じてもポリティカルなことできるんだけど。
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