04/12/2009
品川からトラックに積載されて横浜まで。運転手さんの実況ガイド付き。その他おまけ付き。
斜に構えればそれだけのことなのだけど。
天気も最高だったし、房総半島は見られたし、横浜の夜のライトアップも綺麗だったし、あんまり素直に楽しみすぎて、「これが演劇と呼べるのか」とか、そういう難しいことはその場では考えられなかった。
今回の2時間半で得られた驚きや喜びといったものは、その「ねらい」「方向感」ということでいえば、社会科見学やはとバスツアーでも達成できる類のものかもしれない。はとバスの運転手さんやガイドさんのプライベートに突っ込む客がいることも、僕たちは良く知っている。
でも、社会科見学やはとバスではほぼ絶対に達成できないものがこのCargo Tokyo-Yokohamaでは達成されていて、そこにはあきらかに「観客側からは見えないようになっている」仕掛けがある。それを「演劇的」と呼ぶのかもしれない。そうなのかなあ?
更に無理矢理考えると、芝居(特に現代口語演劇)を観ていて役者の仕草やちょっとした台詞に驚いたり喜んだりする時、その驚きや喜びは日常生活でも体験できないわけではない。見つければいいのだから。でも、日常生活ではほぼ絶対に目が行かない、あるいは看過してしまうことに、目を向けさせてしまう、あるいは、驚かせてしまうところに、「演劇」としての手管がある。その、視線の誘導の仕方が勝負どころ。なのかなあ?
去年11月の「多摩川線劇場」にはもっとやり方の可能性があるなー、とか、いままで都合がつかなかったり避けてたりしたPota-Live、行ってみたいなー、と思い始めたりしてるのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿