13/12/2009 マチネ
最近パイプ椅子のないスズナリは珍しいのだけれど、それで満杯、ひょっとしたら靴袋まで出るかもしれない、っていうくらいの一種懐かしい期待感が、開演前の場内に溢れる。
映画の「田園に死す」は恥ずかしながら未見。むかーし(ひょっとしたら小学生の頃)トレーラーだけを観たような記憶はある。いつ、どこだったのだろう?
が、「田園に死す」を知っているとか知らないとか、アングラ通だとか通でないとか、そういうのをすっとばして、天野演出が紡ぎだすメタ構造に酔う2時間。夢+夜のように自らの妄想だけで固めた時空も凄かったけれど、寺山ワールドに自分の妄想を巧みに編みこんで主客分かちがたく、その編みこみの中を鉈だか鎌だかを手に手に持った風情で駆け抜ける役者陣のかっこよさ。
アングラの見かけの上澄みだけ借りてきて郷愁たっぷりにみせる輩もある中で、飽くまでも妄想とノイズと特権的肉体で劇場の時空を埋め尽くす試みをどアングラと呼ぶとするなら、まさにどアングラ、おれ、やっぱりアングラ好きだなぁ。格好良いなぁ、と思う。高揚した。
連れは、開場直前に、「なぁーんか、役者が1人、すかした格好で階段登って行くなぁー。こんな時間になんでかっこつけてそんなことするのかなぁー?」と思っていたらしい。僕は見逃した。見逃した人には時空は開いたままである。連れにはきちんと落とし前がついている。それがちょっと悔しい。
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