2009年7月2日木曜日

城山羊の会 新しい男

01/07/2009 ソワレ

1時間45分、全く時計を意識せずに最後まで観てしまった。とても面白かった。
前回の「新しい歌」もとても良かったけど、城山羊の会の芝居、どんどん面白くなっている。
他の役者さんも良かったからこういうことを言っては大変失礼になってしまうけれども、三浦俊輔が出色だった。
黒田大輔は「ぜーはー」が許されてしまう日本で唯一の役者なのではないか、と書いたことがあるが、前言撤回。三浦俊輔も「ぜーはー」絶対に許される。

<以下、ネタバレ>

本当に、古舘氏の「実況中継」シーン、古舘さんにはほんっとに悪いんだけど、オレ、三浦氏と本村氏の顔しか見てなかったし。だいたい、自分の彼女が古舘にやられている描写を、あんな嬉しそうな困ったような顔で聞けるヤツ、いるのかい?あ、ここにいるよ、ここに、てな具合である。本当にやられた。

熱出しておかしくなっちゃう三浦氏を囲むシーンは若干デジャヴュで、何だっけと思ったら、そうそう、ハイバイのおねがい放課後、三浦バージョンでの古館対三浦ってのがあった、そのドロドロ半妄想シーンに似たものがあった。いずれも良い、ってことなんだが。

みんながみんなして最後まで「死ぬ死ぬ」言ってるので、僕はてっきり、最後、おかしくなっちゃった三浦氏か石橋氏がどっかで人を傷つけて入ってくるとか暗転するとかいう展開になるんじゃないかと、そう思っていたのだ。というか、山内ケンジ氏にも大変失礼ながら、「若い夫」もそうだったし、今回もそーかなぁ、などと、ナメたことを考えていたのだ。
唯一死にそうに無いのが変態古舘さんで、ま、これはこれでいっか、みたいな。

が、後半もド後半になって、「あ、こいつら、だれも死なないな」と思い始めるのである。登場人物が死ななかった理由もわりと「はずみ」「たまたま」だったりするのだけれど、逆に言えば、死ぬ理由、というか、死ぬ直接の引金もやはり「はずみ」なのである。で、ぼくが三浦俊輔に期待していたのは、実は、その、「はずみ」を引き起こすことなのだった。

しかし、山内氏がそれに気がついていないわけが無く、つまり、舞台上で起きることに本当の「たまたま」があるはずはなく、舞台上のたまたまは必然なのである。当たり前だが。

死ぬってことが、いかに「はずみ」なのか。言葉をかえると、死ぬってことがいかに不条理であることか(うわ、かっこいい)、というのがずーーんんと見えてきて、あ、そこに、深浦さんの気配が。

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