「タブーに挑む」ことは売り文句の部分が9割以上で、実際に映画を観るに際しては、タブーだかどうだかはほとんど関係ない。
僕は常日頃、観客に観方に関して余地を与えない映画・芝居はカスだと思っているが、そして、どんな映画にもそうした余地を見出してしまう逞しい妄想力を持ち合わせる人もまた知っているが、こういう、「観客が余地を見出さない余地を与えない」つくりの映画は初めてだ。
監督自らが「白とか黒とか主張するのではなくて、グレーを示したい」とか「自分が現地で感じたことを、映画の観客に追体験してもらいたい」と述べるような映画で、かつ、観客側からも「どのようにもとれる」「必ずしも監督の感じたとおりに感じる必要は無い」ような出来上がりになっているところに、監督のセンスを感じた。
別の言い方をすると、「観察映画」なのだから、観客の見方の自由度を高めようという意図はあるだろうし、実際かなり高まっているのにも拘らず、「そういう風に映画を作ろう」という監督の意図・方向感が非常に強烈に感じられて、従って、全篇を通して、想田監督のすっごく強い自我の影を感じながらでないと観ていられない映画なのである。
また別の言い方をすると、「映画なんて観る人によって見方は十人十色なんだから、らく~に観て下さいね~」というのではなくて、「いいですかー、頑張って観て下さいねー、どうやったって、あなた自身の観方で観ないとどこにも行かない映画なんですからねー、はい、じゃ、監督は裏っかわでじっと観察してますよー、」と、「自分の観方で観るように仕向けられていることを絶えず感じざるを得ない」造りになっているようにも思われた。
だから、すっごく面白い映画であると同時に、すっごく疲れる映画である。
想田監督、すばらしい技量と強力な自我の持ち主だと思った反面、ちょっと怖くなってしまったのである。
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