10/10/2015 19:30 @Royal Court Theatre, Downstairs
僕は、栗山民也さん演出の「海をゆく者」が大嫌いだ。評判がとても良くて再演もされたけれど、僕は日本語初演を観たときの嫌悪感を忘れない。オリジナルとの余りの落差に怒り狂ったのを覚えている。何が気に触ったのかというと、「達者な俳優達」が、いかにも上手に「アイルランド」の人たちっぽく、「愛すべきダメ男達」を演じていたからである。
コナー・マクファーソン本人の演出による初演は、誰にも愛されない、観ていても愛しようのない男達の話である。アイルランド人っぽい人たちの話じゃなくて、アイルランド人の芝居である。アイルランド人の主人公はアイルランド人っぽい茶色の革靴は履かない。アシックスのジョグシュー(ニンバス)を履く。誰にも愛されない人の魂が救われるのか救われないのか、っていう、極めてカトリック的な話だと思っていたのに、日本語になった途端に見事に換骨奪胎されて、クリスマスのちょっといい話に収まってしまった。
そういう換骨奪胎、「これがアイルランドっぽいクリスマスの愛すべきダメ男の話ですよー」というチープなイメージの押しつけが、なまじ演出・俳優陣が達者なだけに、思いっきり見るに堪えないものに仕上がってしまっていたのだ。
それ以来栗山民也氏演出の芝居は観ていない。
何故、マーティン・マクドナーの新作"Hangmen"のことを語るのに、コナー・マクファーソンの芝居の、しかも日本語版を引き合いに出したかというと、
実は、まさにこのHangmenという芝居を、栗山民也氏演出でパルコ劇場で、主演吉田鋼太郎で上演したら大いに面白いだろう、と考えたからなのです。
それくらいに上手に書いてあって、完成度が高くて、随所に笑いを盛り込みながら、時々ほろっと、時々シリアスに、という、なんとも上出来な舞台だったからなのです。
1965年、死刑が廃止になったその日の、イングランド北部の街オールダムのパブ。元、英国第2の死刑執行人として知られたハリーとその家族がそこの経営者。元死刑執行人ナンバー2のコメントをとろうと、地元紙の新聞記者がやってくる。常連の地元客=おとぼけ三人組がやってくる。見るからに怪しい、ロンドン訛りの、お前はまんま若き日のマイケル・ケインかい、っていう風情の男がやってくる。昔の死刑執行人仲間もやってくる。
そういうシチュエーションの中で、一見ドタバタ喜劇のようにも見えながら、「職業自体が失われてしまうこと」とか「死刑執行の殺伐感」とか、まぁ、「親父の哀愁」とか、そういうのが時々顔を覗かせる。
2時間20分、全く退屈せずに見た。幕間に後ろの席のご婦人が、「だって訛りがきつくて・・・」と旦那に不平を言うくらいに訛りがきつくて、ついて行くのに四苦八苦しても、まったく集中を切らさずに観ることが出来た。
本当に上手い戯曲を書く人だなー、と思っていたら、案の定、In Brugeを書いた人だった。演出はWe can see the hills (ここから山が見える)のMatthew Dunsterだった。あー、道理でねー。なるほどなるほど。
文句なし5つ星レビューがついているし、ウェストエンドの大きな小屋でも上演されることが早々と決まって、大入りは間違いないだろう。
でもね。すごーく良く出来た芝居、以上のインパクトは、実は、無かった。この芝居を観て人生観が変わる人とか、ガツーンと食らって、ちょっとは物事を考えよう、なんていう人はいないだろう(いや、考えさせる芝居であれば良い、ってモンでもないんですが)。でも、2時間20分、とても面白かった。極めて上質のエンターテイメントであることは間違いない。
だから、栗山民也さんの演出でパルコ劇場で上演するのに相応しいと思う。1960年代イギリスの話だから、どれだけ「イギリスっぽく」作ったって構わない。是非達者な役者を揃えて、愛すべき死刑執行人とその仲間達を存分に演じて頂きたいと思う。吉田鋼太郎さんが演じる役も、浅野和之さんが演じる役も、僕の中ではもう決まっている。
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