2010年2月14日日曜日

マームとジプシー たゆたう、もえる

13/02/2010 ソワレ

マームとジプシー、初見。初日。
Twitterでは「売り止め」が連発されていたが、その割りに、天気のせいもあってか下手ベンチ椅子も通路もふさがらず。人気の劇団の割にはちょっとさみしかったかな。

上手な芝居。力もある。序盤の子供シーンのテンポ。大人シーンになってからのフラッシュバックの処理の巧みさ。
最後近くの泣きのシーンの泣きを殊更に臭くしないために、子供シーンの泣きを挟み込んどいて、「絶叫」「泣き」を脱臭する手管。あんまりこんなこと言いたくないが「最近の若い人たちって、本当に上手だねー」とつい言ってしまいそうだ。90分、かっつり見せた。

記憶というものは、この芝居に出てくるように、ふとしたところにフラッシュバックしてくるものだ。そしてまた、似たようなシチュエーションでの後悔や罪の意識や「あそこで自分がもう一方の小道を選んでいたら」という気持ちを伴って。しかも、「今から未来に向かって別れている2つの道のどちらを選ぶかということに対して、その過去の記憶は全く役に立たない」のだ。そういうネガティブな、改竄しようのない記憶の話として強力に組み立てられていて、作・演出の当パンの言葉に嘘偽りの気持ちはないと思う。

でも「これは僕は、これからの話、記憶からの脱却、だと思っている。」と結ぶところには、無理矢理さを感じてしまう。だってこの話は、90分間過去にしか目を向けていないから。それを振り切ろうという意図は強力に認められるけれども、そこからどこに行くかは、どこにも見えなかったから。
だから、作・演出の言葉は、「これは僕は、これまでの話、脱却すべき対象としての記憶の話、だと認めざるを得ない。」と読み直したほうが正確なのではないかと思う。

なので、90分間、観ていて辛かった。上手に作ってある分、僕のネガティブな、振り払おうにも振り払えない記憶の痛いところさえも針でつつくような芝居だったから。そして、作・演出の「どうにも振り払えない、脱却できない」気持ちを共有することを無理強いされるような芝居だったから。苦い記憶はたゆたいながらいつかまた戻ってくる。もえて消えることはけしてないのだ。

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