うむ、すごく、カッコいいぞ。
でも、実は、そのカッコいいパフォーマンスを観ながら、僕がずっと考えてたのは、
「パパ・タラフマラの決まり事って何だろう?」
ということなのです。
決まり事を知らない、僕にとっては、
カッコいい男女4人組が、すごく気持ちよさげに体を動かして、歌を歌って、笑っているのが見える。
で、そこが僕の限界。そこで、何と愚かなことに、このパフォーマンスの座標(=フレーム。物語なのか、テーマなのか、それはよく表現できないが)を見つけ出そうとして、ドツボにはまってしまったのです。
で、男女関係とか、泥棒稼業とか、そういう、陳腐なフレームが与えられると、
「あぁ、陳腐」
と思ってしまうのが僕の限界で、本当は、パパ・タラフマラのパフォーマーたちは勿論、何度もパパ・タラフマラを観に来ている人たちは、きっと、
「そんな陳腐なフレームはたいしたことではない。それは軽く笑い飛ばしたところで楽しまないと」
って思ってるんだろう。
そういう、カッコいい決まり事が共有できない自分が、ちょっとみじめな気持ちである。
(読み返すと、すっごく嫌味な文句に読める。でも、そんなつもりじゃないんです。ホント。踊れないやつがナイトクラブに行って、踊れるやつのことを僻んでるとか、そういうレベルです)
1995年のマクベスを観た時(それが今まで観た唯一のパパ・タラフマラの舞台だったのですが)の衝撃は、今でも忘れられない。
ひょっとすると、そのときには、「マクベス」という、僕も共有できる「決まり事」があったから(そして、パフォーマンスが、その決まり事にグイッと切り込んでいったから)、安心して観れたのかもしれない。
「僕の青空」カッコいい。でも、僕はちょっと居心地悪かった。
パパ・タラフマラ、また舞台観にお邪魔すると思います。
でも、「僕の青空」の再演には行かないと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿