2006年9月10日日曜日

東京タンバリン 立待月

旗揚げを観て以来、久しぶりにお邪魔しました。
面白い。

・役者が達者。どれくらいやるとやりすぎで興ざめか、どれくらいやらないと退屈するか、というレベル感について、
①役者が分かっているか、②演出が行き届いているか、
のどちらか。

・舞台上でリアルであるかのように時間を運ぶことと、舞台上のことはウソンコであることについて、整理がついている。

・で、一番のポイントは、「そこらへんのスィートスポットが、評者と非常に良く似ている」ということでした。
言い方を変えると、「この芝居の作・演出者が、芝居を見始めたり、自分で始めたり、問題意識を持ったり、という生い立ちが、自分のケースとそっくりなのではないか」。

たとえて言うと、あるバンドのギター聞いてて、「あ、こいつ、ジミーページ好きだったんだろうーな。で、一時期ウェザーリポートばっかり聞いてたこともあっただろ!」というような。あんまり他の人に言えないような。

これ、面白いんだけど、かつ、非常に気にかかることでもある。というのは、あまりにも自分のツボにはまった芝居については、「他の人に薦められるか」を冷静に語れないから。

もう一つ気にかかること。この芝居に限ったことではないが。
最近観る芝居、登場人物に悪人多すぎませんか?
「悪人」ってのは違うな。そうだ。作者が、ネガティブな印象を持って興味を持っている人。
面白いんだけど、エッジが効きすぎてておじさんにはちょっとつらい。

平田風に言えば、(自称・他称)善人の、自分では気がつかない、いや、本当は気がついてるんだけどいわない、そういう悪意。
表には出ていないんだけど、従って、セリフや行動では見えないんだけど、芝居観終わって20分くらいして、客が「あ、あの人、ひょっとするとこういう人だったのかもしれない」と思っちゃうような、そういう悪意とか、真意というもの。
そんなのがもっとみれたらなー、と、ちょっと思いました。

なので、来週も「隣の男」の方を観に行きます。期待度大。
「隣舞台同時上演」の趣向についても、両方見終わってから書きます。
あ、少なくとも一ついえるのは、「こっちだけ観ても十分OK」。

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