14/11/2015 19:30 @Young Vic Downstairs
シェークスピアの才能のレベルは本当にとんでもなくて、シェークスピア戯曲の取り扱いは難しい。
下手にいじると、いじらない方がまし、みたいになってしまう。
ストレートに上演しても、「戯曲の良さ」ばかりが目についたりして、演出・俳優が割を食う。
「尺には尺を」をモダンに演出していると聞いて、今回UKにやって来てから半年以上経って、初のシェークスピアをYoung Vicで。
結論から言うと、やはり、シェークスピアをねじ伏せるのは難しいのだった。
冒頭、幕が開くと舞台一杯にダッチワイフが積み上がっている
(男性を模したダッチハズバンドがこの世に存在するということを、わたしはその時初めて知った)。
役者はそのなかから這い出てきたり、それを蹴ちらしながら舞台上を移動する。
いや、それ、つまらないとは言わないけど、いかにもって感じで、面白くする要素も一つも無い。
仮に説明を求めれば、
「いやいや、この舞台におけるシェークスピアへの取り組み方のスタンスはあーでこーで、従って、ダッチワイフを積み上げてあることにはあーだこーだした意味があって、それは実はあーだかこーだか」
っていう説明を長々としてもらえることはほぼ間違いないと思うのだけれど、まあ、おかしくも何ともない。
アンジェロのステレオタイプな役作りと、イザベルのわざとらしい表情の作り方にうんざりする。ルーシオは達者な役者がやっていて、間の取り方、笑いの取り方が上手でほっとするけれども、そこまで。公爵は検討するも、演出の意匠に足を取られて突き抜けられず。
そんな中で、ギャングスタな紳士達、おとぼけプロボストが何とも言えず魅力的だった。シェークスピアは、あらすじに関係ないわきの人たちが楽しいと最後まで見ていられる。
総じて、そこそこに楽しめるシェークスピア。
それにしても、僕のすぐ後ろに座っていた親子連れ、両親と5−6歳の男の子。あのダッチワイフが「何か」について、お父さんはどんな説明をしてあげたのだろうか。ちょっと気になる。
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