2010年8月16日月曜日

快快+B Floor Spicy, Sour and Sweet

14/08/2010 ソワレ

B Floor単独のパフォーマンス "Flu O Less Sense" と快快北川作篠田演出の "どこでもDoor" の2本立て。

企画として上出来だったとはけっして思わない。この「コラボ」を通して日タイの「国・原語(ママ)の違いだけでなく、文化の違い・方法論・カンパニーのキャラクターの違いを乗り越」えられたなんていう見当違いの楽観論にも与さない。でも、そういう「越えられないもの」にぶちあたった快快が持ち出したのが「どこでもドア」という「あったらいいな、でもありえないな」な道具であったこと、また、どこでもドアを鏡面としてあっち側とこっち側で平行して物事を進めたり、時として混じったりしながら、でも、最後まで越えられないものと格闘する姿をしっかり見せてくれたことが、快快の連中には申し訳ないかもしれないけど、僕にとっては大きな収穫で、そして、変に日タイ友好だぁ、みたいなものを押し付けられるよりもよっぽどか真摯で、ぐっとくるものがあったんだ。なんか、快快って、実は、明るく開いている人のためだけの芝居なんじゃなくって、さびしい人のための芝居でもあるんだな、とも(今さら気づいたのかい?なんて言わないで下さいね)。

言い方を変えると、あんなに「他者に対して開いている」と感じていた快快が、そして快快のスタイルが、一方で、開いているんではないかと思われたB Floorのフィジカルなスタイルと「コラボ」したときの「開かなさ」への対峙。快快をみつけている観客としては、創り手には申し訳ないけれど、面白かった。こういうの、「やり方が不味かったんでしょ」では済まされないことだと思うのだ。

この企画について「全てとても上手くいった」と誉める人には気をつけたほうがよい。そういう人は、野田さんの赤鬼(ロンドン公演)も上手くいった、あとは観客のパーセプションのせい、と平気で言ってしまえる人だろう。

そういえば、B Floorのパフォーマンスは、前半戦を観た時点で、快快よりもむしろ遊眠社との親和性を感じさせた。よく動く身体、キャッチーなプレゼンテーション。でも、「物語る」動きは快快よりも遊眠社だろうと思われた。

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