2007年8月20日月曜日

あなざ事情団 ゴド侍

19/08/2007 ソワレ

先ず、シンプルに言えば、
食わず嫌い気味だった「観客参加型」芝居を、素直に楽しみました。それが驚きだった。

観客参加型の芝居は難しいとずっと思っていた。
古くは1980年代、黄色舞伎団が客をいじり倒す芝居をしているという噂を聞いて、ビビッた小生は黄色舞伎団の舞台を観ないまま今日に至っている し、最近ではPotaliveなるものも駒場近辺でやっているらしいけれども、小生、観客参加型の演劇にビビッているせいで、いまだ「ポ」の札をつけて駒 場を散歩したことがないんである。

卑近なところだと、吉本新喜劇ロンドン公演で職場の同僚が舞台に引っ張り上げられたらしいし、ドリフを観てるガキどもが「うしろー!」とか「ひだ りー!」とか絶叫するのもある意味観客参加型。あるいは、客に向かってウィンクとかあからさまな問いかけとか、そういうのは後を絶たなくて、いや、ほん と、そういうのは、(極端なポジションを取るならば、舞台上の面切りも含めて)あられもないというか、ま、つまらないことが多い。少なくとも芝居として は。

某ツレも言っていたが、「観客参加型」の芝居って、ただの「客いじり」との境界線が難しい、ということなのだろう。

で、何故僕がこの芝居を楽しめたかというのは、実は説明できなくて、つらつら考えるに、
①作・演出あるいは役者への信頼感(要は、知っている人がやっているから)なのか、
②単なる客いじりに終わらないように、本当に考え抜かれているからなのか。例えば、客が客として舞台を見つめている瞬間と、客が参加者として緊張しつついる瞬間との糊代の処理とか。
③倉品女史の満面に珠となって噴出す汗を眺めるにつけ、それを50cm離れたところで一滴も汗を流さず見ている俺は一体何なんだ、何でそんなオレ がこの舞台に参加してよいのだ?という、そこはかとない罪の意識と、とはいいつつもテレビさんに指名されてすっかり舞い上がりながら感じた照れと緊張感 と、そういう自分は何なんだと考えながら過ごす時間が楽しかったのか。
④総勢30人くらい、という観客の規模が丁度よかったのか(しかも地味な情宣なので、知人・関係者率は高かったと思われる)。

いずれにせよ、僕には面白かった。
が、本当に予備知識ない人が飛び込みで観に来ても楽しかっただろうか?それはなさそうだ。だからこそ、春風舎のような、「ある程度芝居を見ている人」が来るような小屋で上演したのだろうし、そのアプローチは非常に正しい。

あとで、ゴドー待ちの「時間をつぶす」ということをやってみたかったということを聞いてしまうと、若干芝居の意図が紋切型に落ちた気もするし、それでは朝日のような夕日を連れてに陥る危険大である。危険は大きいけれども、少なくとも僕の見た回は落ちていませんでした。

むしろ、娘の批判は僕に向けられていて、
「チャンネルを変えるときの切り替えのキレが悪かった」
そうだ。返す言葉も無い。

ともあれ、観客参加型、のパフォーマンスの意味を、もちっと真面目に考えてみよう、と思ったことです。

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