07/08/2007 ソワレ
2時間15分、これと言った苦痛もなく観れたが(それ自体は褒め言葉ですが)、この芝居を語るのにふさわしい言葉をずっと考えた結果、まことに失 礼ながら「そこそこの芝居」という言葉しか出てこないのだ。そこそこ、と言ってしまう、その8割方は、2時間以上の芝居でそこそこ観ていられたから、とい う、まさに、そこそこのところに収まっているのだ。
何故か。多分、役者が多かったので飽きなかったのだろう。
役者5/6人でやってたら飽きて苦しかっただろうし、逆に、こんなに長くなることも無かっただろう。
虚構と現実が入り乱れる妄想芝居においては、先日の坂手作「いとこ同志」のように、あるいは、唐の芝居のように、
「結局のところどっちでも構わないのさ」
的な突き放したところが無いと苦しい。
どこでどう虚構と現実が絡み合っているかという構造自体を芝居を通じて暴いていく or 読み取らせていく or 物語っていく芝居は、どうにも苦しいし、第一、役者がつまらなくなる。倉持裕氏の「ワンマンショー」、本谷有希子氏の「ファイナルファンタジックスーパー ノーフラット」なんかもそうだった。
世界の謎解きに興味はない。役者の立ち居振る舞いになら興味がもてる。
だから、20人近い役者が入れ替わり立ち代り出てくるこの芝居を最後まで見通して、最後の最後にやはり虚構と現実の関係を説明してくれちゃうと、何ともいえなくなってしまうのだ。だから、「そこそこの芝居だった」といわざるを得ないのです。
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