芝居を観て"ショックを受けた"のは久し振りだ。
Complicite の The Street of Crocodiles 以来、だと思う。
「え?これって、一体、どんなイミがあるのかしらねぇ?」
というオバさんたちのささやきが聞こえてきそうな芝居
(実際、ボクの隣の兄ちゃんは芝居の間ずっとチラシの束を読んでいた)。
が、そのイミを考える前に、イマ、舞台の上に載っている役者の動き、音、光をありったけ僕の五感にぶち込んでおきたい、隅から隅まで味わい尽くしたい。
でも、それがとても出来ないと最初からゲームを投げださざるを得ないほどの重量感と、幾層にも重なり合った微細な襞が、素晴らしい。
僕だって、いまだに、イミ、分かりません。有体に言ってしまえば、熔けて捻じ曲がり、焼けて灰となったモノたちの記憶が、墓守がシャッターを切るその一瞬の裂け目から姿を現す、そういう芝居でした。
でも、実はこの観方って、作者からすれば「なーんだ、全然つたわってねーな」と思うくらい見当はずれかも。まぁ、そんなことは、いい。
細かい<解釈>は、1週間経ってから、買ってきた戯曲を読んで机の上で考えれば良い。今日のところは、良い芝居を観た幸福感に浸っていよう。
そう、1週間経ったら、ど○ど企画の○山さんと松田さんの対談が載ってる当パンも読もう。芝居前に読むにはちょっと長いし、観終わった直後に読むのにはちと難しかった。
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