2015年12月15日火曜日

You For Me For You

12/12/2015 15:00 @Royal Court Theatre Upstairs

脱北を企てる姉妹、妹は成功してアメリカに渡り、姉は残ってはぐれた息子を捜す。
何年かして、妹は姉の脱北を再度試みるべく朝鮮半島に戻り、姉はその時、脱北の覚悟を固め、
そして2人を待つ衝撃の結末とは!

って、僕、別に、衝撃の結末なんか期待してないよ。

後ろに座ってたアメリカン・アクセントの2人連れのオヤジの方が、芝居終わるなり、拍手始まる前に「いい話じゃないか」って一言で纏めちゃったり、
隣に座ってた、「イヤミ」を実物にしたらこんな風になるんだろうみたいなイングリッシュ文化人オヤジがバチバチうるせえって位に上から目線の拍手送ってたり、
そういうのが我慢ならなかったんだよね。どっちかというと。
おセンチに陥ると、そういう、上から目線の「いいじゃないか」な感想かます下司野郎どもにつけ込む余地を与えてしまうのではないか。

北朝鮮のキツさは、そういう物語で収めて欲しくないと、僕は思う。そのキツさは、少なくとも、僕にとっては、上から目線で「いい話じゃないか」って言えるものじゃない。

脱北後の暮らしもやっぱりキツくて、アメリカで生きること・暮らすことが、脱北後も姉の脱出資金捻出が一番の目的となる妹にとって、唯一の選択肢のように思えてしまう瞬間に、そこに開けていたはずの希望の視界がきゅっと閉じてしまう。アメリカの暮らしも選択肢に欠ける息苦しいものであることには変わりが無いのだ。だから、北朝鮮とアメリカを対比させる展開は、ある意味、リアルではないのだけれど、「どこで暮らそうとも息苦しさに変わりは無い」点でとてもリアルなものになる。

その「リアルではないリアル」を突き詰めたのが、後半の、妹とNYのボーイフレンドが、路上で、それからの2人の一生を語る場面。
2人の30年−40年がまさに胡蝶の夢のように過ぎて、「一生を一緒に過ごしてくれて有り難う」の台詞が心を打つ。
それは、「何年間かの間で人生の素晴らしさを味わい尽くしました」という感謝でもあるし、「姉の人生と引き換えの日向の人生」への罪の意識でもあるし、「アメリカの人生もそんなもの」との諦念でもある。

ひょっとすると、この極めて美しいシーンを畳むためには、ラストシーンは不可欠だったのかもしれない。たとえそれがやっすい「お涙頂戴」なものに回収されてしまっても。
そこで、北朝鮮でもアメリカでもない、どこか他の道はなかったのだろうか、と、ついつい考えてしまうのだけれど、現実はそんなにたやすくない。それは北朝鮮にいても、アメリカにいても、東京にいても、それは同じで、そこに思い至ったときに、観客は上から目線の拍手なんかおくれなくなっちゃうはずなんだ。

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