2010年10月10日日曜日

モモンガ・コンプレックス ずうずうしい、です。

26/09/2010

雲に覆われて今にも泣き出しそうな野毛山動物園。が、動物園はやはり嬉しい。今年は一人でないのもよい。

中野成樹+フランケンズの動物園物語は、どうしても「場」として動物園の大きさにしてやられた気がしたが、今年はなんといってもモモンガ・コンプレックスだけに、がっぷり四つに組むことはしてこないだろう。そうすれば、あの空間に上手く肩透かしを食わせながらエンターテイニングに展開することも可能なのではないか、と期待した。

確かに、モモコンは、空間をより自由に使って、時には不自由な空間(ワイさんち)も使って、すごくエンターテイニングだったのだけれど、でも、やっぱり何か欠けてたんだよなー。と割り切れない気持ちで一週間くらい考えていたのだけれど。

そうだ。通行人がいないんだ。動物園を形作るものは、動物と、園舎と、飼育員と、あと、大人達や子供達なんだ。そう思うと、おのずとこの企画の限界も見えた気がする。

例えば、冒頭の七人の侍も、ざわざわと人が動き回って邪魔でしょうがない真昼の動物園の中で、あたかもモーゼの紅海のように人の波がざわーっと割れてそこからあの7人のパフォーマー達が現われていたら、ものすごいインパクトだったと思うのだ。ワイさんちも、知らない子供が入っていって、お化粧中のおねーさんをいきなり見かけて泣き喚きながらでてくるとか、女の子が自分も入りたがるとか、そういう風になっていたらもっと愉快で開いていて、かつ、空間がさびしくないパフォーマンスになっていたんじゃないかと思う。

実際、動物園見学の時間帯に、檻の中のサルに向かってお話したり休憩所で集ったりしてるモモコンの面々を見つけたときには、かなりインパクトあったし。

だから、中野成樹+フランケンズの動物園物語も、昼間の、開演している動物園の中で、でもなぜかその周辺だけみんな静まり返って台詞聞いているみたいな、そこだけ時間の流れ方違うぞ、みたいな風に見れたらすっごくステキなんじゃないかなー、と思ったりするのだ(ま、不可能なんですが)。

0 件のコメント: