2010年10月10日日曜日

長短調(眺めまたは身近め) 再見

03/10/2010 マチネ

今日は身近めのライブを聴きに。

ぐおっ。やはり「眺め」のディスプレイだけで見聞きするよりも、身近めのぐっと近いところで聴いてる方がずっと気持ちよい。そして、「眺め」では気がつかなかったのだけれど、
・ テクストが「かもめ」の優れた誤意訳となっている
・ ライブの展開(そしてテクストの並び)が、もう一つの「かもめ」を形作っている
・ 従って、このライブはすぐれて「演劇」である
・ が、しかし、ライブとしても素晴しく心地よく聴ける(実際、「みずうみ」は小生の通勤時i-Podのお気に入りアルバムになってしまった)
ということなのだった。

当日のあうるすぽっとでは、2つの「かもめ」がすっごく近いところで上演されていて、それが捩じれの位置に位置しているようでいて実はぐいっと組み合わさって、1つのコンセプトにまとまっていたのだった。だから、一度に片方しか観られなくともそれは全く問題なくて、2つとも観たい人はそれはそれで2度+α楽しめるというだけの話だ。

どちらの(どちらの切り出し方をされた)「かもめ」の方が気に入るか、という違いはあるだろうけれど、少なくとも僕にとってはどちらの「かもめ」も充分にエンターテイニングで、刺激的だった。逆に、どちらか一方だったら成立していたか、となると(まるで中野氏の意図を裏付けるかのように)それは心もとない。おそらく、2つを同時に上演してこそ、この劇の時空が成り立っていたとも思われる。

創り手にとっては気の遠くなるような作業ではなかったかと思われるものの、「気の遠くなる作業を経た芝居だからよいに決まっている」というのはウソで、僕にとっては、「どちらも面白い『かもめ』だった」というのがとても重要。もしももっと労力をかけるのであれば、観客席を分離せず、むしろ、「眺め」と「身近め」を観客がゆるーく行き来しつつ、2つの舞台の時間の流れ方の違いにかるーく眩暈など起こしつつ、1時間強を過ごせるような場所が出現したらすげーだろーな、と思っちゃったりもするが、それは遥かな妄想の世界。

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