2015年8月10日月曜日

The Trial

05/08/2015 @Young Vic

カフカの「審判」を下敷きにした、全回売り切れの人気芝居。
地下鉄ストライキで当日キャンセルが出ることを期待して当日券に並んで受付開始時間に行ったら前から9番目。
開演3分前にキャンセル9人目が出て観られたのはとってもラッキーだったのだが。

三流不条理劇のダサさに思わず唸ってしまった。
芝居が終わってすぐ、隣の若い女性に"Did you get it?"「分かった?」って聞かれて、「いや、分かんない」って答えたんだけど、
続けて「まぁ、不条理だから」って言ったら「あぁあ」と、納得したようなしてないような感じ。
要は、「なんだか、意味ないわよねー」ってことなんだけど、で、不条理劇なんだから意味なくて全然構わないんだけど、
でもね、劇中、主人公が「こんなバカげたことがあるのかぁー!」って叫んじゃうような不条理劇は、少なくとも日本では観たこと無いよ。

そこで「ひょっとすると、イギリス人には不条理劇へのエクスポージャーがないんじゃないか?」疑惑が頭をもたげたのであります。
そういえば、物語に説明とか因果関係の説明の付く結末を求めがちなところとか、訳分かんないときには訳分かんないことの帰結として
悲しいことが起きちゃったりとか、そういう芝居、多いように思われるのだが・・・
もしかすると、「不条理」っていう概念が、イギリス人の中には育ってないんじゃないか?そこはナポレオンに勝ち、スペインの無敵艦隊を打ち破り、
ブリッツを乗り越えて、「どうしようもないことなんて無い!」と言い切ってしまう心根が、
「不条理」を受け入れる素地をイギリス人から奪ってしまったのではないのか?
そういえばこの国には地震も台風も火山も猛暑日もないからなー(但しストライキと洪水とボイラーの故障はあるのだが)。

ゴドー待ちは、不条理劇の一つの金字塔ではあると思うのだけれど、本当のところ、イギリス人はどう受け止めているのだろうか?
(実のところベケットはアイリッシュだし)。あれは、UK的には不条理劇ではないのかもしれない。
いやむしろ、不条理劇じゃないから受け入れられてるのかもしれない、とか考えてしまう。

<ゴドー待ち英語版プレミアを演出したPeter Hallのノート>
http://www.theguardian.com/stage/2003/jan/04/theatre.beckettat100

<何故現代UKで不条理劇が流行らないかについての記事>
http://www.theguardian.com/stage/theatreblog/2011/dec/14/a-for-absurdism-modern-theatre

四方囲み舞台で長い長方形の舞台の上にコンベアベルトを置いて、舞台装置も「それなりに工夫」してみたり、小芝居で笑いを取りに来たり、
色々手は加えてあるんだけど、でも、そこまでなんだよな。
カフカの原作にある得体の知れない不安はそこにはない。「こんなバカげたことがぁー」と叫ぶ主人公の自我があるばかり。
そして、こんな芝居をする連中には別役さんの芝居はきっと面白くも何ともないんだろうと思ってしまったよ。

うむむ。Young VIcに来たのは久しぶりだけど、ダメだったー。そういえば野田さんの赤鬼も大がっかり芝居だったなー。そのときは客席からも失笑が漏れてて、あー、イギリス人から観てもやっぱりこの芝居はダメダメなんだ、よかったー、そこら辺の基準は間違えてないよなー、って思ったんだけど。
8日にもう一本Young Vicで観るんだけど、正直、不安である。

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