6/6/2015 マチネ @Barbican Centre
Sydney Theatre Companyがオーストラリアから持ってきたゴドー待ち。
MatrixでAgent Smithを演じたHugo Weaving(Lord of the RingsではElrondを演じてる人)が出演していて、彼はとても良い役者だから。と聞いて観に行ったのだが、そもそも僕はMatrixをちゃんと見てないので、やっぱりよく分からない。まぁ、とにかく、オーストラリアで創ったゴドー待ちである。
1997年にPeter Hallの演出で、また、2006年にも別のプロダクションでゴドー待ちを観たことがあるのだけれど、今まで観たゴドー待ちの中で、一番もの悲しいゴドー待ちだった。そもそもゴドー待ちはもの悲しい話なんだ、と言われればそれまでなのだが、いやいや、どうして、僕はこれまで、もっとカラッとしたゴドー待ちしか観てなかったんだな、とつくづく考えてしまった。
このオーストラリアからやって来たゴドー待ちでは、カラッとテンポ良く時間を進めるのではなくて、べたっと、じわじわと、役者が演じていく。Hugo Weaving演じるウラジミールは、「昨日と明日」を強く意識したウラジミールであるとの印象を与える。
カラッとさらっと演じられる時の「あぁ、こうやって、毎日毎日ゴドーを待ってるんでしょ」という繰り返しを想像する感じではなくて、むしろ、昨日から今日、今日から明日、未来永劫へと進む時間のベクトルの方が強く感じられて、その時間の果てしなさに途方に暮れる2人の「心持ち」がもの悲しく見えてくる、そういう演出になっていたと思う。
「カラッと演出」のゴドー待ちでは、「また一日が繰り返されるという状況」を観るという感じ。
「べたっと演出」のゴドー待ちでは、どちらかというと、ディディとゴゴーの「自我」「内面」に興味が沸いてくる。
「自我」「内面」に焦点を当てることがこの演出の勝負所だったのではないかと思えたのは、実は大きな収穫。ディディとゴゴーの内面だなんて、今まで考えたこともなかった。
しかし。僕の隣に掛けていた方は、べたっとじわっと進む一幕の間すやすやとお休みになって、二幕では姿を消していらっしゃいましたよ。
僕も、ポッツォとラッキーのシーンではとても眠たかったです。
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