2015年6月14日日曜日

Oresteia

13/06/2015 ソワレ @Almeida

アイスキュロスによるギリシャ悲劇を現代風に翻案して、退屈せずに見せきった3時間40分。でも、ラストのアテネの台詞はなー。3時間30分これだけ見せておいて、こう風呂敷畳みますか!!!!

Almeida Theatreはイズリントンにあって、場所的にはWest Endとは言い難いが、そのプロダクション力とか、格なのか、一部にはWest Endの劇場として紹介されている、名門劇場。今年の夏~秋は、ギリシャで行くぞ!と銘打って、今回はその第一弾、Oresteia。
ちょうど今、東京では木ノ下歌舞伎が三人吉三、5時間通し上演をやっているはずだが、こちらも負けじとギリシャ悲劇3時間40分である。
が、こちらはアイスキュロスのギリシャ悲劇に大幅に手を加えて(加えているはず。原典を当たっているわけではないけれど)現代風に。

第一幕、無茶苦茶かっこいい。冒頭の台詞を聞いただけで、もう「ついて行きます、どこまでも!」と思ってしまうくらいにかっこいい(これを言っているのが誰なのかは、プログラム読んでも配役表読んでも出てこない。後でテクスト見たら、Calchasとあって、トロイ戦争時のギリシャの予言者だそう)。そしてアガメムノン。映画「トロイ」でブライアン・コックスが演じるアガメムノンに敬意を表しつつも、いや、このアガメムノンが(一種トニー・ブレアを意識しているのかもしれないが)、モダンに、抑制効かせながら、見応え十分。
第一幕で娘を生け贄に差し出して、第二幕でアガメムノンが妻のクリュタイムネストラに殺されて、第三幕でクリュタイムネストラが息子のオレストスに殺されて、で、第四幕でそれまでの展開をくるっとひっくり返してさらに伏線を一気に回収して、ドン!と来るのだけれど、オレストスを演じる若い役者がちょっと絶叫芝居系で、今ひとつ。そして衝撃の結末へ。

ギリシャ悲劇を現代に翻案する際の問題意識としては、岡崎藝術座の「アンティゴネ/寝取られ宗介」を思い出す。神里演出の方が、社会の規範と個人の緊張関係をクリアーに見せていた気がするんだけどなー。どうなんだろう。

いや、本当に、3時間35分経過までは、「この芝居、邦生王子の演出で観たい!」と心の底から思っていたのだけれど、それが覆りかねないほどに衝撃の結末だったのですよ。


<そしてネタバレ。Oresteiaご覧になる予定の方は読まないで下さい>

オレステスの母殺しに関する有罪/無罪について、陪審が50/50に割れるところまでは、大方の想像通り、かつ原典通り。
で、アテネの評決。手短に言えば「うん、でも、私たち、男性社会で生きてるから。陪審の評決が五分だったら、被告人(男性)の利益に」だって。
いや、ひょっとするとアイスキュロスの原典通りなのかもしれないけどね(読んではいないけど)。でも、それは、いやしくも現代に翻案したんだったら、そして、かなり編集を加えたんだったら、それ、言わせなくてよかったんじゃないの?芝居のスケールと見合わないご教訓に収束しちまわないですか?
どうですか?オレは納得いかないよ。
どうなんだろう?いいのかなあ?

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