31/05/2015 マチネ @Old Red Lion Theatre
Dark Comedy と銘打ってはあったけれど、Comedyではないな、これは。救いのない話の中に、笑っちゃうシーンも時としてあった、という程度。
いや、救いのない話でもComedyを堂々と名乗ることの出来る芝居は沢山あるのだから(チェーホフであったり岩井秀人であったり)、これをComedyと呼べない理由は、救いがないからではないのだ。ただの、いやーな話だからなんだ。
精神病の妻とともに北アイルランドのど田舎に引っ越してきた夫。妻の病気を理由に早期退職したものの、職無し金無し、友人無しで何とかつましく暮らしている。大学生の息子は田舎暮らしと扱い難い母を嫌い、なかなか帰省してこない。ある夏、息子が帰省すると、飼っていたはずのイヌが3匹、見当たらなくなってしまっていて・・・
この芝居の決定的な瑕疵は、病の妻を「周りの人からの視線」だけでしか描けなかったことだと考える。
冒頭、大学生の息子の視点で芝居を始めておいて、その後の展開にも息子の視点を使いながら、後半に掛けては徐々に夫の視点にシフトしていくのだけれど、その間、「実は息子はこうで」「実は夫はこんな感じで」というネタを、(え、ここでそのネタ出して種明かしのつもりなの?と問いたくなるような、反則気味のタイミングで)繰り出すことで物語をドライブしようとしているように見えた。
その中で、一貫して「妻」は、夫と息子、隣人から見てただの手に負えない人、という視点でしか見えてこない。あれじゃ誰から見てもおかしな人だし、本人もおかしいのが分かってて「おかしく見せようとして演技している」みたいにしか見えないよ。だから「実は本人はこんな気持ち」というのが(独白の形で)明かされても、狂人の思い込み・悪あがきの自己主張(の演技)でしかないように見えてしまう。
いや、所詮は、家族3人が3人とも自分の視点からしか物事見ていないんだけどね。でもね、妻の視点からどのように物事が進行しているのかに観客が入り込めるような工夫が欲しかった。本人が自分の病状をどれくらい自覚しているのかは誰にも分からないけれど、でも、本人には感じられているはずなのだから。そこの境目が分からないようにしないと、Darkでも恐ろしくも何ともない。
「イヌが見当たらない」「実はいるのに見えていないだけなのか?」「あたかもイヌがいるように振る舞っている夫は、妻につきあっているのか、妻とともに病気なのか、それとも本当にイヌがいるのか」という軸は、観客に座標を示すヒントとして上手く使ってあるのだけれど、「精神病の妻」という軸がビシッと決まっているので、実際の効き目が薄いのが惜しい。
照明や音響効果も「いかにも」で洗練を感じない。
いや、でも、こうやって書いてると、何だか、いじれば良くなる芝居なんじゃないの、と思えてきたりもする。出来損ないの「て」なのではないかという気もしてきた。どうなんだろう。
ちなみに、Old Red Lionってのは、Angelにあるれっきとしたパブで、この日はArsenalのシーズン終了パレードで、外も盛り上がっていた。パブの中にはArsenalの旗が飾られてて、ただの飲み客ももちろんいたりする。開場を待ってたら、近所のオヤジが5歳ぐらいの姪っ子連れて怒鳴り込んできて「外歩いてたらこの上の階からレンガが降ってきて姪っ子に当たっちまって、ぐぉらぁ、責任者誰じゃい」みたいなことになったり、Pub Theatreならではの醍醐味ではあった。
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