2008年8月4日月曜日

岡崎藝術座 三月の5日間@上野広小路

03/08/2008 ソワレ

フレームの嵌め方の素晴しさに舌を巻きつつ、寸止め感が大変惜しまれる舞台。

<本稿、以下全篇ネタバレです。>




上野広小路の演芸場、舞台は高座、客席は全面畳敷きに座布団敷き。
最前列にパンダの被り物した人を含む先客が陣取って、弁当を食いながらおしゃべりに興じている。さては岡崎藝術座シンパの連中か、そういえば、新百合ヶ丘でも顔見た覚えが、って、実は役者だぞ、と。
(前から二列目、僕と知人の間に開演までずっと空いてて鞄が置いてある座布団があって、「これも役者の席に違いない」と断言していたら、何のことはない、普通のお客さんでした。すみませんでした。)

開演するや、最早演芸場の外では見ることのできない巨大な蝶ネクタイの男達やウクレレ漫談のコンビが登場して、演芸のノリで三月の5日間が語られる。その趣向、良し。

上野という「東北」に向いて開けた土地で、渋谷の話をする。六本木の話をする。その話を聴いている(という設定の)人たちの身なりは、「東北」に向いていて、西の方、例えば新玉川線とか東横線の匂いからは真逆。パンダ社長とか、妙な光沢のワンピースのお姉さんとか、気合ボンタンのお兄ちゃんとか。
舞台上から順に、
渋谷・六本木⇒上野⇒更に東から来た人たち⇒それを観る、主に西から来たであろう芝居の観客
という図式があって、この⇒の一つ一つが実はかなり深い断絶である。最前列の似非観客達が美しく青きドナウのクライマックスに合わせて後ろを振り返る時、僕らとそれらの人々の断絶と、「語られる者と語る者」の間の断絶が開けて見えて、思わずすくんだ。

あるいは、それら似非観客の陽気さは、Shiningの壁掛け写真の中の人々(亡者達)が開くパーティの陽気さに似る。時に観客が舞台に上り、下手袖に吸い込まれ、袖から出ては舞台上に倒れ臥し、物語を語って見せる。それは「終わったこと」なのだから、繰り返し語られて構わない。次にそれを繰り返させられるのは自分かもしれないという恐れ。振り返るパンダ社長の顔は、Shiningで逃げ惑う妻がバタンとあけたドアの向こうの、羊コスプレ人間の恐怖を蘇らせて、やはり、すくむ。

このフレームを嵌めて最後の浮浪者のシーンまで寄り切ったらすごいことになる、と思っていたら、ヤスイ君が怒られたところで突如終幕。え、えぇえー?これで終わっちゃうの?そういえば、幕の閉まる中で、何となく役者のニヤニヤした顔、これは何か続きにあるに違いない、あれ、違うの?あれあれあれ?

うーーん。休憩入れてもいいから、最後まで通してほしかっただす。だって、前半、凄かったんだから。

0 件のコメント: