05/10/2014 マチネ
そもそも、遊眠社時代の野田戯曲を「遊眠社でないように」上演するのはすごく難しいというか、無理なんじゃないかなぁ、と、この30年くらい漠然と感じていて、まず、そこに挑んだ時点で、プロダクションの心意気や良し、ということではあった。 かくいう小生も遊眠社を見たのは1987年以降何回かだけだし、従って、「小指の思い出」は1、2度VHSで観たことしかなくて、「観劇中、物語を追うことになると勿体ないから」というせこい理由で、古本屋で戯曲買っちゃったのだが、最初の2、3ページでその豊かさと切れ味に圧倒された。若い時分は台詞回しのスピードと華やかな舞台に目が眩んで気がつかなかったが、実は「読み物としても」手応えずっしりの、素晴らしい戯曲だったのだ(今更気がついたか・・・)。 この素晴らしい戯曲に対して、今回のプロダクションでは演出・スタッフ・役者陣一歩も引かず、がっぷり四つに組んだ素晴らしい舞台となっていた。戯曲と演出スタイルの相性は必ずしも良くなかったかもしれないけれど、そこで生じた摩擦、ざらつきが芝居としての熱量と飛距離に繋がっていた。
まずは幕開け。唐さんから(もしかするとそのもっと以前、歌舞伎の頃から)遊眠社を経て綿々と続く日本のフィジカルシアターの伝統といえば、「幕が切って落とされるや否や」異界への入り口がさっと開いて、観客は否が応でも異界の中を引きずり回され、めくるめく妄想の高みへと引き揚げられたと思いきや幕が閉まって現実へと真っ逆さま、何がなにやら分からぬままに、「いやー、訳分かんなかったけど面白かったねー」ってな感想を呟いて家路につくのが常。一方、藤田芝居はむしろ異界との「きわ」に観客を置き去りにしながら、これでもかとばかりに記憶の痛みをぐりぐり擦り込むリフレインの手管、ふと気がつけば役者の向こうに清澄白河在住のおっちゃんおばちゃんが見えて、ああ、オレは異界に踏み込んでいたのだなぁと、ぶるっと震える算段。この「小指の思い出」も、地獄の番犬ケルベロス飴屋、いや、青柳いづみとの狛犬ペアが、がっつり異界の門番の役割を果たし、観客が異界ツアーに身を委ねることを決して許してくれない。30年前は上杉祥三が務めた異界のツアコンに挑む前髪クネオは異界のあっちとこっちとに両股かけて、一歩踏み外したらお払い箱になりかねないところをしっかり踏ん張り、異界に埋もれず観客の視点におもねず、最後まで自分の立ち位置見失わなかったのは天晴れ。こうして、幕を切って落とさずとも、世界は立ち上がる。幕を閉じずとも、芝居の記憶は擦り込まれる。
そして、芝居のペース。敢えてゆっくりと、遊眠社よりも、マームよりも更に速度を落として、じっくり進める。遊眠社式の速射砲のような(ある意味台詞の意味を消化する間もなく次に行ってしまうような)展開を採らなかった時点で、すでに元の戯曲とかなりの摩擦を生じている。この摩擦をしっかり受け止めて、失速しないように、芝居前半をダイナモのように繰り回していたのが、青柳・飴屋ペアに加えて山内健司、中島広隆、石井亮介の3人。舞台転換のペースも芝居のペース作りに一役買っていたなぁ、すげえなぁ、と思っていたのだけれど、待てよ、あの、「邪魔になっていなかった」音楽の貢献は、実はかなり大きかったのじゃないかと、ハタと思い当たる。どんな音楽かは朧気にすら覚えていないのに、芝居のペースだけはしっかりと身に染みこんでいて、うん、そう言われてみれば、今回のこの芝居、藤田演出の「音のオーケストレーション」としては「僕好みの音質」に仕上がっていたなぁ。
あれあれあれ、こんだけ書いて幕の開け方とペースの話だけ?テーマの話とかリフレインとか、どこに行っちゃったの?と自分でも思うのだが、いやいやいや、芝居小屋に客を呼び込むっていう企てのツボは、一定の時間と劇場の空間、その時空をしっかり支配してそれを観客に体験してもらうところにあるのだとすると、この芝居、最後まで、隅々まで、時空を支配しきっていたと思う。本当に充実した2時間。芝居を観るって、本当に愉しいなぁ。
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