18/10/2014 マチネ
名作。やっぱり、平田オリザ戯曲の中で1、2を争うくらい好きな戯曲だし、1991年の改訂バージョン初演以来、全く色あせることなく、未だにみずみずしさを保って、あぁ、この芝居を再び、こんな素晴らしい役者陣で観ることが出来て、自分は本当に幸せだ、と心から思ったんだ。
役者陣、山内、松田の1991年来の2人はもちろん、当時と比べるとみんな上手だなーと。そして、「技量」だけでは語ることの出来ない「戯曲」の骨組み、設計図のようなものが、役者の技量によって、より生き生きと立ち上がっているのを感じたんだ。
たとえば、第4場、マイケル西田が笛を吹いて「難しいですね」という場面。僕は、このシーン、この台詞が、どのような経緯で生まれたかをよーく知っている。でもね、なんたることか、このシーンでこらえきれず涙出てきちゃったのだ。何故、あの日、あの場面、あの稽古場で、平田オリザが、この「笛」と「難しいですね」を拾い取って、戯曲に落とし込んだのか、それがどうやって「それを最初に口にした役者」のもとから離れて、「暗愚小傳」という戯曲のコンテクストの中で新たな生命を得て、今、吉祥寺シアターの舞台で、折原アキラの口から発せられて、で、1990年には思いもしなかったような豊かなコンテクストの厚みとニュアンスをもって蘇り、僕に涙を流させるのか。その23年の流れと積み重ねたるや・・・
役者の円熟と技量とに支えられて、「暗愚小傳」が新しいうねり・グルーブを手に入れていた。先日、木ノ下歌舞伎の「三人吉三」を観て、日本の芝居でも骨太なうねりのある物語が十分可能なんだということを思い知らされたのだけれど、「暗愚小傳」が、現代口語演劇110分のフォーマットを採りながら、30年のうねりを骨太に描き出していることに、今更ながらに気づいて恥じ入ってしまう。
現代口語演劇が、実は「100%リアル」なものではなくて「平田ワールド」のリアルを映しているということ、高村光太郎の30年が、実は「100%史実のリアル」ではないこと、でも、目の前に役者がいて言葉を発していることは100%リアルで、そうした要素を繋げているのは、実は観客席にいる僕らの想像力であること。今、改めて「暗愚小傳」を観て、1991年当時からそうしたうそんことリアルのリンクがここまで「あからさまでないように」でも「分かりやすく」提示されていたことを思い知る。これからも繰り返し、何度でも上演されてほしい。
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