2014年10月25日土曜日

大道寺梨乃 ソーシャルストリップ

25/10/2014 マチネ

楽しかった。追加公演、滑り込みで観に行けて、本当に良かった。
シンプルな構成で、力強いコンセプト。最後まで飽きないのは、大道寺梨乃のルックスもあるし、それ以上に、見せ方の技量を感じた。

まずはパフォーマー本人を曝しておいて、「モノ」を媒介にしながら彼女の「記憶」「過去」「社会との繋がり」を剥ぎ取っちゃおう、っていうコンセプトはシンプルで、ある意味ゴリゴリ迫ってきて、やり方を間違えると「痛タターーー」ってなってしまいそうなものだけれど、それを、客入れの空気作りから初まる柔らかなパッケージング(ラッピング?)で包み込んで、上手いこと最後まで持って行く。

僕はストリップを観たことはないのだけれど、ストリップで綺麗なのは、服を脱いだ後の身体の綺麗さもあるのだろうけれど、どちらかと言えば、おそらく、服を剥ぎ取っていく所作にあるんじゃないだろうか、ということを思っていて、だから、今日も70分間楽しく拝見したのは、脱いだ後の「大道寺梨乃の裸の自我」ではなくって、過去の「記憶」や「物語」を剥ぎ取ってヒラヒラさせるその所作なんだと思う。その所作だったり、モノにまつわる記憶だったり、ちょっとした回り道だったり、そういう夾雑物が、「どこまで本当なのかな」とか「どこまで曝しているのかな」という疑問符を生み、僕に想像の余地を与えてくれる。豊かな時空の誕生。

なんてことを考えてながら観ていたら、最後の最後に文字通りの「大道寺梨乃の裸」が出てきちゃったのだけれど、これはどちらかというと「それで安心できた」ということなのだと思う。服を脱がずとも自我をボロボロになるまで剥ぎ取られて(あるいは自ら曝しちゃって)見ちゃいられない事態に陥らず、「演劇作品」としてのフレームを嵌める効果を感じた。それは、「痛タターーー」とならないための見せ方の技量であり、パッケージングの妙である。はるかさん含むスタッフ陣も、登場の仕方、立ち居振る舞い、とっても大人で、安心して身を委ねていられるし、そういうところで絶対に観客を置いてけぼりにしない気配りが、快快の連中の真骨頂。正直「あぁ、こんなに気持ちよく見せてくれるなら、ぜーんぶでっち上げでもいいや。最後まで気持ちよーくだましてねー。」って思ってしまうのだ。

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