24/01/2016 20:00 @Hamburgische Staatsoper
オペラこのような素晴らしいものであるのなら、これからもずっとオペラを観たいと思う。
「オペラは総合芸術である」という言葉を聞くたびに「ケッ」と思ったり、
(これはミュージカルでも同じことだけど)なんで突然歌い出すんだとか、台詞を歌で言わなきゃならないんだとか、演技が変だとか、それこそ現代口語演劇原理主義者に極めて近いところに出自を持つ小生としては、
正直、オペラは敷居がとても高い。
今回、平田オリザがリブレットを担当していること、舞台美術を杉山至が、衣装を正金彩が、照明をDaniel Levyが、それぞれ担当していること、
ハンブルクは多和田葉子さんが長いこと住んでいた、そして、彼女の小説にも度々登場する街で、以前から是非一度訪れたいと思っていたこと、
そういうのがあって、半分勢いでハンブルク州立オペラにお邪魔したわけである。
「平田オリザのオペラ」ってどうよ?というのもある。ダメだったらそう言えば良いのだし。
が、一幕、2時間弱の上演中、まったく飽きることがなかった。
オーケストラ、音楽、歌、演技、舞台美術、衣装、照明、ロボット、全ての要素が緊密に舞台上に織り上げられていた。そして、それら全ての要素とそれに拘わる人間達が、「オレがオレが」という我を一切張ることなく、同時に力をめいっぱい発揮して、
杉山の舞台美術は、このオペラが素材にした「隅田川」を意識した舞台上手の桟橋と、舞台中央、観客席に向かって傾斜した円形の「太陽光発電パネル」にも見える主舞台、舞台中央につり下げられた11本の光る管。構図・構造は力強く、同時に、能舞台のようなニュアンス。それが、照明の当たり方によって絶えず表情を変えていく
舞台奥のホリ幕にはおそろしく美しい「アンバー」とも「金色」ともつかない明かりが当たっていて、上演中、それが青や黒や黄昏の色に変化して見応えあり。
日本語でシチュエーションを告げるロボット「ロボビー」も、おまけで出てきたわけではなかった。冒頭のロボットのアナウンス、動きが、舞台上の出来事にぐいっとフレームを嵌めて、空間を締めていることに驚く。
細川俊夫氏の音楽も素晴らしい。平田のリブレットは、普段見る青年団の「現代口語演劇」の戯曲と比べればシンプルで骨太、微細なニュアンスでの勝負はしていない。口の悪い言い方をすると「編み込み」が足りない気もするのだけれど、音楽と編み込まれることで、立体感や深みが出ていて、「これがオペラか!」とうなる。
オペラ歌手だからといって、あの、テレビでよく見るような「わたしを見てー!わたしだけを見てー!こんなに歌の上手いわたしが美しい(悲しい)歌を歌い上げてるのよー!」なところは一切無い。変な物語や感情に奉仕するのではなく、作品にコミットして素晴らしい。特にカウンターテナーの男性は出色。
震災後の被災地に暮らす人々を描いており、そこに切り込む演劇ではあるけれど、「隅田川」をモチーフとして母親に焦点を当てながら、そこに入ってくる第三者としてドイツ人の男性を配し、彼があたかも「イザナミを追うイザナギ」(=冥府を訪れるオルフェウス)のように機能して、シンプルな中にも観客の目線を立体化する仕掛けが施され、一本調子の押しつけがましい芝居に陥らず、さすがは平田戯曲。それをとても良く理解していると思われる細川氏の音楽、ナガノ氏の指揮、歌い手達。クールで中身の詰まったパフォーマンス。
駄作には戯曲家に生卵をぶつけて応えると言われるハンブルクの観客、「熱狂的」ではないが、おべっかでない、圧のあるカーテンコールが長く続いて、日本人としてはちょっとほっとすると同時に、「うん、そうだよね、すごく良いオペラなんだよね、これ」とあらためて納得。
いや、素晴らしい体験だった。
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