06/02/2016 14:30 @Coliseum
ギルバート&サリバンのコンビによる不朽の名作オペレッタをこれまた初演以来30年でまったく現代性を失わず色褪せないENOのプロダクションで。
間違いなく大傑作。観るのは多分4度目(このプロダクションで3度目)なのだけれど、何度観ても飽きないし、新しい発見がある。
Ko-ko役のRichard Suartも1989年からこの役を張っているけれど、円熟・深化はあれども疲れはなし。
そもそも名シーン、名曲揃いで、このオペレッタが色あせることは未来永劫無いに違いないと思う。
何と言ってもサリバンの音楽がポップで美しくて、それがこれでもかとばかりに繰り出されて息つく間もなく耳を奪われる。
そしておバカなストーリー。
ミカドが統べる日本のとある町、ティティプを舞台に繰り広げられる、
ミカドと、その跡取りと、その跡取りの婚約者に無理矢理なりおおせた「二の腕の裏側は世界一美しい」と自負する女性と、
跡取りの恋人のキャピキャピ娘と、そのキャピキャピ娘に横恋慕する仕立て屋上がりの「高等死刑執行卿」。
しかもその高等死刑執行卿、近々斬首刑を執行せねば自らの首が飛ぶぞとミカドがのたまったものだから、さあ大変。
そういうオペラである。
ヴィクトリア時代のイギリスで書かれたオペラだから、PC一切お構いなし。
が、西欧世界と異なる基盤の元に高度な法治国家を成立させて繁栄を遂げた場所を舞台に充てて、当時の英国社会を諷刺するというのが趣旨なんだから、
これのPCに目くじらを立てるのは大いに筋違いだろう。
(ガリバー旅行記を読んで小人や宇宙人への差別反対を叫ぶのと同様だと、僕は考える)
で、こういうおバカなストーリーにのっかるポップな曲は、もちろんおバカな歌詞が載っかってとてもうきうきするのだけれど、
でも、やはり圧巻なのは、このおバカなストーリーに載っけてとてつもなく美しい曲が、しかもその場で聞いていると「なんだか美しくなきゃならない」みたいに歌われるシーン。
ヒロインの独唱"The Sun Whose Rays Are All Ablaze"(わたし、こんなに悲劇のヒロインになっちゃって、美しすぎて困るわぁ)
Ko-koの独唱 "On a Tree By a River a Little Tom Tit"(この曲を歌い上げて口説き落とさねばおれの首は救われない)
何度聞いても涙が出てくる。
ヴィクトリア時代の人々は、これ観て大いに喜び、笑い、楽しんで家路についたのだろうと想像される。テレビ・映画のない時代である。
その頃に素晴らしかったものは、テレビ・映画がはびこる世になってもバッチリ生き残る。
彼らに負けず劣らず僕も楽しんで帰ってきたし、何度行っても楽しめる自信があるんだ。
D"Oily Carteのプロダクションではキャスト全員着物で出てくるのだが(ご覧になりたい方はMike Leighの映画'Topsy Turvy'を見て下さい!)、
このプロダクションは海辺のリゾート地を舞台に、イングランド風の衣装で固めて、舞台中真っ白で統一して、現実感をかっ飛ばして観客に提示する
(そう、現代においてはちょんまげ・着物のエグゾティシズムは諷刺に資するものとしてはもはや通用しないのですから)。
そういう一手間も手伝って、また、(現在のENOプロダクションの初演ではKo-koを演じたのはEric Idleだったとのこともあり)Monty Python風の小芝居も手伝って、
全く古臭くない。
本当はこういうのを日本で映像で観て、「やっぱりロンドンでミカド観たいわぁ」と言って欲しいんだよな。みんなに。お勧めですよ。ほんと。
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