2016年1月5日火曜日

Ungeduld des Herzens

25/12/2015 19:45 @Schaubuhne, Berlin

クリスマスの夜に芝居を観に行くという暴挙。
しかも、ベルリンで上演される、ドイツ語の芝居を、字幕なしで。
もちろん、僕もツレもドイツ語は全然分からない。

しかし、Simon McBurney演出作品の初演。ということであり。
映画Grand Budapest HotelのモデルとなったStefan Zweigの小説を下敷きにしている。ということもあり、
また、Compliciteを観てきた限りでは、割とフィジカルな側面も多く取り入れられるだろうし、ということもあり、
かつ、初めてベルリンに行くんだからという、観光客ならではの高揚感も手伝って、
2席だけ残っていたその芝居に予約を入れてしまったのだった。

Ungeduld des Herzens。邦題は「心の焦燥」、英語ではBeware of Pity。
慌ててネット使ってあらすじだけは押さえてからベルリンに出発。
いや、それが、サイトによって結末が微妙に違っていて、どれが本当なのかは検証できないままの出発ではあった。

「言葉を一言も解さないだろう(しかも観光客みたいな)2人組が劇場に来てるぞ」
というときの、受付や周囲の観客の緊張感は、やはり、相当のものがある。
事前にパンフレッット買って予習しようと思ったのだが、パンフも当然のことながら全文ドイツ語で、一言も分からん。作戦失敗。

手元にある材料は、いまや、ウェブで調べた曖昧なあらすじのみ。多分、
「第一次世界大戦前夜、若い軍人君が、とある館のパーティで出会った、片脚が不自由な娘と恋に落ちる。が、障害のある娘との恋に対する周りのネガティブ反応に本人の男の子も腰が引け気味に。一方、娘の恋心は募る一方。軍人君は、自分の本心が恋心なのか娘への憐憫なのか整理がつかないまま任地へ赴くが、列車の中で娘への恋心に気がつきそこから電報を送る。奇しくもその日は第一次世界大戦勃発のその日であった。」
っていう話。もちろん、原作読んでないし、芝居の台詞もほぼ全く理解できてないので、筆者の脳内でのみ通用するあらすじである。

以下、ネタバレありで、観たままを。

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1時間半、すごく面白かったんだ。
言葉はやっぱり全く分からなかったけれど、退屈しなかった。

主人公の軍人くんと離れたところに、本人をナレーターとして配していたいて、物語はナレーターによって語られる。軍人くんのアクションとの二重写しは、
何てことはない仕掛けではあるのだけれど、観客からしてみれば、語り手(その語る物語と、語るときの様子)に加えて、語られる本人(物語の中での言動)も観られるという、
一粒で二度美味しい構造が得られることになる(あ、僕は「語られる」物語は一切聞き取れませんが)。

言葉が分からない中では、物語が進んでいるのかいないのか、コンプリシテ風の演出ではなかなか判断できないのだが、
どうも片脚が不自由な娘が「地雷女」といっても良いぐらいの猛烈アタックを掛けている様子が見て取れる。
しかも、どうやら家族ぐるみ。あるいは、将を射るにはまず馬を射よ、みたいな遠回しの作戦も仕掛けているような。それで若い軍人くん、たじたじとなるわけだが、
そういう展開が手を変え品を変え何度も何度も繰り返し舞台に現れるとなると、なんだか、
うーむ、それって、「事柄」の記述なんじゃなくて、「軍人くんのパーセプション」でしか無いんじゃないの、って思えてくる。
しかもそれを説明しているのは「後年の本人」なんだから、本当に迫られてたのか、ただの思い込みなのか、でっちあげなのか、そこら辺、真偽のほどが定かでない。
そう。一人称芝居の醍醐味、「信頼できない語り手かもしれない」体験を、ナレーターと「昔の本人」という二重構造をとることで、強力に成立させているのでした。

舞台を眺めているうちに、(少なくとも言葉を解さない)観客の焦点は、「事実の成り行き」ではなくて、主人公=軍人くん=ナレーター=一人称視点の持ち主の語り口(こいつ、どんな気持ちでこの話を語ってるんだ?)へと、どんどん絞られていくのだ。

で、僕の目に見えたのは、「事実がどうであったのかはこの際関係なく」ただただ積もっていく「罪の意識」の一点。それ、相当、見ててイタいです。

「オレ、あの娘を放っておいて良いわけ?」「そもそもそういう上から目線って良いわけ?」「周りの目を気にする自分っておかしくね?」
「いや、そういう自意識を言い訳にしてないかい、オレ?」「言い訳で結婚するってどうよ?」がグルグル回ってる。でも、都度、女の子を振り切ってしまう。
あぶり出されるのは自己完結する自意識と罪の意識。それを後年の自分自身がナレーションであぶり出してる。

と、そこまでグリグリ攻めておいて、マクバーニー演出は、オーラス、舞台奥に写真の投影をぶち込んでくる。第一次世界大戦、戦間期、ナチ、第二次世界大戦、冷戦、壁、そして2015年、難民。軍人くんの人生を辿るのではなく、その先へ先へと時間が飛んでいく。
そして、1914年の軍人くんの罪の意識と、2015年の観客の罪の意識が舞台を介して繋がって、アッと思ったところで、芝居は終わる。

カーテンコール。「割れんばかり」ではないのに観客の本気が十分伝わる、まさかの5回コール。いや、しかし、十分それに値する公演だった。
言葉が分かってないから、ひょっとすると、上に書いていることは全て僕の勝手な思い込みですが、それでちっとも構わない。素晴らしい舞台を体験させて頂いた。

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