2015年7月5日日曜日

An Oak Tree

05/07/2015 ソワレ @National Theatre, Temporary Theatre

観客参加型演劇ならぬ俳優参加型演劇。丁寧に作り込まれて、ぐいぐい引き込まれる。恐るべし。

この芝居の売り文句は一種きわものチックで、
「脚本・演出と客演俳優の2人芝居。客演者は、プロット・台詞、一切事前に聞かされていません(もちろん客演者は日替わり!)」。
よーくありがちな、客演者がつっかえたり、予期せぬ方向に転んだりして、チープな笑いを誘ってくるんじゃないだろうな、という予感もした。
ただし、もしかすると、と思わせるのは、これが10年前に初演されたものの、再演だということ。
ひょっとするとひょっとするかも、で出かけていったら、これが、とっても面白かったんだ。

客席から呼び出される客演者。緊張気味に。
そこから70分、作・演出・俳優の三役をこなすTim Crouchから客演者への指示は、すべて、「目に見えるところで」行われる。
マイクを通したヘッドフォンへの指示。ファイルにはさんだスクリプトを渡してのリーディング。台詞のやりとりをしながら「次、こう言って下さい」という指示。
ちょっと間をとって、これからこうなるから、こうしてください、という、小声での段取りの指示。
隠れた仕掛け無し。

これ、芝居の掟を破りまくりじゃないの?っていうか、そもそも稽古してから人前に出したら良いじゃん。という人も居ただろう。
インプロも何もないの?全部指示が出るんだったら、観客参加型でも良かったんじゃないの?という人も居ただろう。
客演者がこの直後になにをするかが、(指示を通して)全部分かっちゃうんじゃあ、「これから俳優が何をするか分からない」っていうドキドキ感は一切無いってこと?という人も居ただろう。
いや、これら全部、僕自身がちらちらと考えていたことです。恥ずかしながら。

ところが、である。
「劇中の役柄の人間関係」と「作・演出と客演者の人間関係」と「劇中劇の中の役柄の人間関係」が、階数表示のないエレベーターのように上下動する中で、舞台上の2人が作る関係性と、そこから生まれてくる物語の広がりに、どんどん引き込まれていくのだ。
いや、さっき書いたような小難しいことを考えながら、ふと気がつくと、引き込まれていた、のだ。理由が解明できないまま。

これは大変なことで、だって、目の前のパーツパーツが飛び抜けてどうだとか思っていないのに、してやられている。地図の書けない世界の中に、いつの間にか自分がいる、ということなのだから。そして、おそらく、(後付けだけれども)作・演出のナビゲーションの下で、客演者とともに、「劇」が形作られていく過程を、旅している。地図はないけれども、世界はある。その、目眩がするような感覚の素晴らしさ。

あなざーわーくすの「観客参加型演劇」の練られ方を思い出す。この芝居もあなざーわーくすに似てはいるけれども、「俳優参加型演劇」である点で異なっていて、それは、「予測可能性」を高めてある程度のクオリティを確保するとともに、「事前に作り込む劇の要素」を極力舞台上に持って上がっている。舞台に持って上がらなきゃならない分だけ、事前のスクリプト段階での作り込みは相当丁寧にやっているはずで、その完成度が異様に高いのだ。いや、もちろんあなざーわーくすの完成度も異様に高いんだけど、それは、「観客へのホスピタリティの高さ」であって、このAn Oak Treeでは「虚構の強度の強さ」が優先された、ということだろう。

だから、もっというと、実は、この芝居、客演者が「その場で初めて脚本を見る」という設定抜きでやっても素晴らしく仕上がるはずで、つまり、
「客演者がその場で初めて脚本を見るという設定の芝居」を、稽古してきて上演しても良かったはず。英国の俳優のレベルなら、それ、こなせるはずで、
そうすると、やっぱり、客演者は日替わり、その場勝負、っていうのは、「コマーシャルなキャッチ」の要素大、
っていうことかとは思っちゃうんだけど。まぁ、そこは、それとして。堪能しました。

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