16/05/2015 マチネ
<恥ずかしい事実誤認があったので、書き直します。戦間期の芝居じゃないですね。カンパニーの名前が1927だったんですね。知ったかぶりは末代の恥。以下、訂正版です>
ロンドンに来て最初の週末に芝居を観てから、引っ越し、生活の立ち上げ、家族リユニオンと、あたふたしているうちに1ヶ月近く経ってしまった。
今日の昼に観たのは、Golem。今時の芝居ならではのテクノロジー・ガジェットを駆使した芝居ってことで、相当流行ってるらしい。
Trafalgar Studioっていう小屋は初めて来たけれど、Studioと言う割には観客席も300席近い客席がきちんと急なスロープで組んであって、想像していた日本の小劇場風スタジオとは相当違う。客層も例によって子供連れあり、老夫婦あり。さすがに観光客はほとんどいないが。
Golemってのは、ご主人様の言うことを何でも聞くはずの土人形のことで、それが段々と主客逆転していくっていう筋立てで、分かりやすくて、話の進み具合から置いて行かれることもなくて、安心して観ていられる。
この筋立てを支えてるのが舞台奥パネル+役者が出し入れする3尺×6尺(くらい)のパネルに投影される書き割り+動画で、この出来が素晴らしく良い。(ネタバレすんませんが)土人形の動きは100%この投影で処理されていて、役者の動き・シンクロぶりも完璧。つまりは今は懐かし2次元劇団エジプト+α、今風に言えば範宙遊泳がちょっと似てるかな。テクニック的にはGolemの方が遙かにカネも人手もたっぷりかけて一日の長あり、でも、イメージの広がり方は範宙遊泳の使い方の方が良いなー、と感じた。
筋立てのこともそうだし、技術の使い方にしてもそうなのだけれど、この芝居で惜しいのは、それらのことが、テーマ、すなわち、「テクノロジーに使われちゃってませんかー?」っていう極めて分かりやすいメッセージに奉仕する形でしか出てこないこと。そうしないと伝わらない、という主張には耳を貸すけれども、それは、観客の想像力がスパークする機会をあきらめている、って気がする。観客の想像の余地を狭めるってことは、劇中の Go Friend、Go Mealとか、i-macとかi-なんとかとか、翌日配送何とかPrimeとか、その延長のGo-Theatreになっちゃうんじゃないの?って言いたくなっちゃう。
でも、そこで、諷刺を楽しみながらも「自分はそんなことないから」って思い込んじゃってる部分が西欧の、特にわりかし教養のある(従ってカネを出して芝居を観に来る)人に多かったりするからなあ。そういう自尊心までも揺るがしてしまうような仕掛け・演劇まで行ってしまうと、却って、「理解できないふりをされる」ことになっちゃうのかもしれないなー、などと思ったりもしている。これでは日本の小劇場演劇が受け入れられるまで、あと5000年はかかるのかもしれないなー、マジで。
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