2016年8月6日土曜日

Pigs and Dogs

23/07/2016 18:30 @Royal Court Theatre, Downstairs

Caryl Churchillの新作は、上演時間15分の超短編。裸舞台に役者3人。戯曲冒頭には、誰がどの役をやっても良いが「人種」「性別」がばらばらの3人によって演じて欲しい、と書いてある。この舞台では、白人の男性、アフリカンの女性、アフリカンの男性の3人。その3人が、15分間を目一杯に使って、アフリカの同性愛・トランスジェンダーについての「伝統」と「現状」と「歴史」について語る。

冒頭は、専ら、現在のアフリカの為政者の言葉を引用しながら、同性愛をアフリカに持ち込んだのは旧宗主国であり、そもそもアフリカには同性愛というものは存在しなかった。アフリカにはアフリカの伝統があって、旧宗主国の連中による「同性愛あってしかるべし」な思想などちゃんちゃらおかしい、なんていうようなホモフォビア全開の言説を紹介。そこから、徐々に、アフリカに大昔から、まさに植民地される前から存在していた同性愛・トランスジェンダーなどの実例、概念、それを表す言葉が紹介されていく。

こういう風に紹介すると、知ったかぶりのLGBT味方ぶりっこの説教臭いインテリ芝居として片付けられちゃいそうなのだが、そして、自分も含めて、コンディション次第ではそういう風に済ましかねなかったとは思ってはいるのだが、正直。でも、「伝統」「コロニアリズム」にかかる言説への違和感のストレートさ、それを掬い取る力、それを舞台に載せてみせるチャーチルの技術に、筆者はまず、感服した。そして、同時に、この芝居が自分にとって、とても他人事では無い、ということも感じる。

特に「伝統を守れ」「お仕着せの○○を変えよう」「この国にはこの国なりの○○がある。西洋の○○を押しつけるな」的な言説は、特にアフリカだけで広く拡がっているわけでは無い。
高校野球の伝統、大相撲の伝統、天皇制の伝統、日本固有の文化、アジア固有の民主主義の在り方、江戸仕草、単一民族としての在り方、押しつけられた平和憲法、その他諸々。

もちろん、アフリカではそれに加えて旧宗主国がもたらした悪しき文化、という植民地時代のレガシーが要素として加わるのだろうけれど、まあ、日本も戦後70年以上実態は某国の植民地なのだから、そこに筆者が(一定程度)共鳴しても赦されるだろう。いずれにせよ、そこで「伝統」「固有の歴史」といった虚偽の正統を声高に叫ぶ人が出てくる状況というのは、現実としてあって、それに対して、個人レベルでその狂気をどう生き延びれば良いのか、というのは、常に目の前にあって、しかも、気の重いテーマとならざるを得ない。

そういう、とっても気の重いテーマを扱いながら、ラスト2分の台詞は、なんだか、美しくて、そこに希望があった。この日の昼に観た"Now We Are Here"の、エレベーターの中二人っきり。1階から10階までノンストップ。てっぺんについたらそこから1階までノンストップ。20階分、ノンストップでキスしていられる。っていう台詞を思い出したり。
そういう、美しいもの、が、希望について考えるとっかかりになってくれるんだなー、と、思う。

キャストの中の白人男性の佇まいが、燐光群の杉山氏に似ていた。そう。こういう語り口の芝居は、燐光群にとてもよく似合うなあ、と思った。坂手さんが舞台に載せると、こういうキッツい話がキッツいまま上がってしまいそうな気もして、でも、この芝居なら。何かの機会に。川中さんか鴨川さんがラストの台詞言ったら、自分、泣くだろうな、とか。

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