12/02/2017 15:00 @Barbican
2015年末、ベルリンで初演されたSimon McBurney演出の大傑作。英語字幕も出来上がって、待望のロンドン公演。
初演時、筆者はたまたまベルリンに来ていて、ドイツ語を100%解しないまま劇場に突撃、字幕無し上演後に「すごい芝居を観た!」と確信したのだが。
<当時の感想は以下の通り>
http://tokyofringeaddict.blogspot.co.uk/2016/01/ungeduld-des-herzens.html
今回、英語字幕付きの上演。
話はとてもよく分かったよ。あの後、ツヴァイクの原作小説も(途中までだけど英語で)読んだし、筋書きはとてもよく分かったよ。登場人物が何言ってるかも分かった。
でも、字幕と舞台を交互に見ていると、それによって失われる情報量が凄まじい、ってことも良ーく分かったんだ。
ベルリンで観たときの、あの、とにかく五感を総動員して何が起きているのか、誰がどんな反応しているのかを追い続けた体験と比べると、
トータルで舞台から受け取った「質量」が遙かに小さくなったと感じた。
ラストシーンも、(ひょっとすると、バービカンの小屋の大きさに比してスクリーンの大きさが小さかった、ということも作用したのかも知れないが)ベルリンで観たときの「ドドーン」というインパクトはない。
正直、字幕の方に意識が半分行っていたからだ。
自分的には非常に残念な観劇体験となった。作品にではない。自分自身にである。
そして、日本の芝居を「字幕付き」で英語圏に持ってくる時の限界も考えてしまった。ネイティブで言語を解する人とそうでない人との間での、受け取る情報量の落差は如何ともしがたい。
2017年3月30日木曜日
2017年3月29日水曜日
Us/Them
18/02/2017 20:00 @National Theatre, Dorfman
昨年のエディンバラで大好評を博した、ベルギーのカンパニーによる2人芝居。今回ロンドンはNational Theatreに登場。
<昨年観たときの感想はこちら>
http://tokyofringeaddict.blogspot.co.uk/2016/09/us-them-edinburgh-festival-fringe-2016.html
昨年観たときよりも、公演としてこなれた印象。悪く言えば、小屋がNTだから、ということもあるのかも知れないが、若干よそ行きな感じがした。
明らかに「上手に」こなしていて、昨年の、ともすると勢いで乗り切ろう、という面は削られていたのは良いのだが、
「こなして話しを前に進めている」感じが、時々見えた気がして。
エディンバラで観たときはSummerhallの、「学校の階段教室を改造しました」感溢れる雰囲気の中での上演だったのに対して、
今回は見るからに「スタジオ方の中劇場です」感溢れるDorfmanだった、というのも多分にあるのかも知れない。
入ってくる観客が、エディンバラの、芝居をよく観る人、観ない人、関係者の若い人、というミックスから、
ロンドンの、情報感度の高い観客に絞られてしまったからかも知れない。
ひょっとすると、筆者自身が「2度目」ということで、集中力を欠いていたのかも知れない。
どうだったのだろう? 例えば、SPACや芸劇に持って行ったら、観客層の雰囲気も相当違うから、今回と異なる緊張感で観られるのかも知れないし。どうだろう?
昨年のエディンバラで大好評を博した、ベルギーのカンパニーによる2人芝居。今回ロンドンはNational Theatreに登場。
<昨年観たときの感想はこちら>
http://tokyofringeaddict.blogspot.co.uk/2016/09/us-them-edinburgh-festival-fringe-2016.html
昨年観たときよりも、公演としてこなれた印象。悪く言えば、小屋がNTだから、ということもあるのかも知れないが、若干よそ行きな感じがした。
明らかに「上手に」こなしていて、昨年の、ともすると勢いで乗り切ろう、という面は削られていたのは良いのだが、
「こなして話しを前に進めている」感じが、時々見えた気がして。
エディンバラで観たときはSummerhallの、「学校の階段教室を改造しました」感溢れる雰囲気の中での上演だったのに対して、
今回は見るからに「スタジオ方の中劇場です」感溢れるDorfmanだった、というのも多分にあるのかも知れない。
入ってくる観客が、エディンバラの、芝居をよく観る人、観ない人、関係者の若い人、というミックスから、
ロンドンの、情報感度の高い観客に絞られてしまったからかも知れない。
ひょっとすると、筆者自身が「2度目」ということで、集中力を欠いていたのかも知れない。
どうだったのだろう? 例えば、SPACや芸劇に持って行ったら、観客層の雰囲気も相当違うから、今回と異なる緊張感で観られるのかも知れないし。どうだろう?
Hamlet
25/02/2017 19:00 @Almeida
ロバート・アイク演出、タイトルロールにアンドリュー・スコット(シャーロックのモリアーティ役だった人)を配して、アルメイダからお送りするハムレット。
きりっと締まった、幹のぶれないシェークスピアを期待して出かけたが、結果も、ほぼ、期待に違わず。
「ほぼ」というのは、この3時間45分の上演の、最後の5分で、え!え!え!?ってなったからで、そこは末尾に<ネタバレ>として書きます。
舞台装置・衣装等々を現代に置き換えて、ニュース映像はデンマーク語で流す趣向。父ハムレットの亡霊は場内遠くに見えるのではなく、セキュリティ監視カメラの向こう、ディスプレイ越しにはっきりと映ったりする。ハムレットの人物造形も、平たくいえば抑えめ、誉めていうなら現代口語演劇風、くさしていうなら(多分)パワー不足の焦点がはっきりしない演技で、筆者好み。ハムレットの言動や感情の振れ幅がそもそも大きいのだから、それを全部増幅して舞台に載せるとハムレット個人に全体が振り回されてしまい、主役に頼った「スター芝居」になってしまう。今回のアイクのハムレットには、それを極力避けたいという意図が感じられた。
クローディアスのアンガス・ライト、ガートルードのジュリエット・スティーブンソン、オフィーリアのジェシカ・ブラウン・フィンドレーと、アイクの座組でおなじみの役者を揃えて、周囲の状況をキリッと輪郭づけ、ポローニアスのピーター・ワイト(一昨年のThe Red Lionsに出てたんだ!)とローゼンクランツ・ギルデンスターンのコンビ(出落ち気味に登場!)が微妙にコミックリリーフの役割を与えられて、渋すぎないように全体を組み立てる。その中にハムレットを放り込んで、個人の振れ幅は飽くまでも全体の枠組みの中に抑えて下さいね。ただし、注ぎ込むエネルギーの総量を抑えろといってるわけではないので、そこのところよろしく! って言ってる気がする。
アンドリュー・スコットはそこにきっちり応えて、多少手がヒラヒラしすぎかな、という気はするものの、現代風の、振れ幅ダダ漏れでない、でも、確実に危ないところへと進んでいくハムレットを演じて、見飽きない。アンガス・ライトのクローディアスが、なんとも「ひょんなことで国王になっちまった(あるいは、ひょんなことで前王を殺しちまった)」王を演じていて素晴らしい。前王ハムレットの「こいつひょっとして亡霊のくせに嘘ついて息子を煽ってるだろう?」的な何とも読みにくい振る舞いも良し。ジェシカ・ブラウン・フィンドレーには、ワーニャ伯父さんの時の突出した素晴らしさはなく、むしろ、冒頭スカートの不釣り合いな短さとヒールで歩くときの前かがみの姿勢が気になったけれども、兄レアティーズの前に現れたときの演技は圧巻。
そういう枠の中でのハムレットの物語は、定番の「ガートルード・ハムレットのマザコンねっとりな関係」「かまって光線バシバシ(©平田オリザ)のハムレット中二病描写」を排して、極めてドライに進行する。味がくどくないから、3時間超えてもお腹にもたれない。かつ、あ、これ、やべー、という感じが、しっかり伝わってくる。これまで筆者が観てきたハムレットの中でも出色のプロダクションだと思う。
<で、ここからネタバレ>
で、これだけ抑えて3時間45分進行しても、でも、やっぱり、最後はみーんな死んじゃうんだよね。そのカタルシスに対する照れくささは、みんな死んじゃう以上、拭い去れないわけで。さて、どうする?
2013年に上演された多田淳之介のハムレットは、みんなが死ぬシーンの前で芝居をぶったち切ってしまって、それはそれで「おお!」と思ったのだが。
今回のアイク演出では、ラスト、死者たちは、舞台上に設けられた大きな窓(引き戸)の向こう、舞台奥へと一人ずつ去って行く。舞台奥では、冒頭に現れたパーティーの続きが展開しているようにも思われる。それを舞台奥に感じながら、客の方を向いてニヤッとするハムレット。舞台奥のピクチャーに自分も加わろうとしているのか?
ん? これは、いやいやいや、これは、あれですか?
シャイニング
ですか? 舞台奥に加わって、みんなが満面の笑みで写真撮影したら、まるっきりシャイニングじゃないですか?その写真がお城の壁に飾られる、っていう趣向ですか?
とまあ、実際にはシャイニングみたいには終わらなかったのだけれど、でもね、終演後、一緒に観てた娘に「あのラストは一体何だい」ってきいたら、何と、娘曰く、
あれは、タイタニックのラストです。
世代差はあるにせよ、同じようなことを感じていたらしい。筆者、タイタニックは観ていないので何とも言えないが。
いやはや、「時計の着脱」の意味づけについてもアイクさんに聞いてみたい気がするが、いや、でも、なにもシャイニングとかタイタニックにしなくとも、十分締まった見応えのある上演だったと、筆者は思ってるんですよ。そこら辺、どうですか?
ロバート・アイク演出、タイトルロールにアンドリュー・スコット(シャーロックのモリアーティ役だった人)を配して、アルメイダからお送りするハムレット。
きりっと締まった、幹のぶれないシェークスピアを期待して出かけたが、結果も、ほぼ、期待に違わず。
「ほぼ」というのは、この3時間45分の上演の、最後の5分で、え!え!え!?ってなったからで、そこは末尾に<ネタバレ>として書きます。
舞台装置・衣装等々を現代に置き換えて、ニュース映像はデンマーク語で流す趣向。父ハムレットの亡霊は場内遠くに見えるのではなく、セキュリティ監視カメラの向こう、ディスプレイ越しにはっきりと映ったりする。ハムレットの人物造形も、平たくいえば抑えめ、誉めていうなら現代口語演劇風、くさしていうなら(多分)パワー不足の焦点がはっきりしない演技で、筆者好み。ハムレットの言動や感情の振れ幅がそもそも大きいのだから、それを全部増幅して舞台に載せるとハムレット個人に全体が振り回されてしまい、主役に頼った「スター芝居」になってしまう。今回のアイクのハムレットには、それを極力避けたいという意図が感じられた。
クローディアスのアンガス・ライト、ガートルードのジュリエット・スティーブンソン、オフィーリアのジェシカ・ブラウン・フィンドレーと、アイクの座組でおなじみの役者を揃えて、周囲の状況をキリッと輪郭づけ、ポローニアスのピーター・ワイト(一昨年のThe Red Lionsに出てたんだ!)とローゼンクランツ・ギルデンスターンのコンビ(出落ち気味に登場!)が微妙にコミックリリーフの役割を与えられて、渋すぎないように全体を組み立てる。その中にハムレットを放り込んで、個人の振れ幅は飽くまでも全体の枠組みの中に抑えて下さいね。ただし、注ぎ込むエネルギーの総量を抑えろといってるわけではないので、そこのところよろしく! って言ってる気がする。
アンドリュー・スコットはそこにきっちり応えて、多少手がヒラヒラしすぎかな、という気はするものの、現代風の、振れ幅ダダ漏れでない、でも、確実に危ないところへと進んでいくハムレットを演じて、見飽きない。アンガス・ライトのクローディアスが、なんとも「ひょんなことで国王になっちまった(あるいは、ひょんなことで前王を殺しちまった)」王を演じていて素晴らしい。前王ハムレットの「こいつひょっとして亡霊のくせに嘘ついて息子を煽ってるだろう?」的な何とも読みにくい振る舞いも良し。ジェシカ・ブラウン・フィンドレーには、ワーニャ伯父さんの時の突出した素晴らしさはなく、むしろ、冒頭スカートの不釣り合いな短さとヒールで歩くときの前かがみの姿勢が気になったけれども、兄レアティーズの前に現れたときの演技は圧巻。
そういう枠の中でのハムレットの物語は、定番の「ガートルード・ハムレットのマザコンねっとりな関係」「かまって光線バシバシ(©平田オリザ)のハムレット中二病描写」を排して、極めてドライに進行する。味がくどくないから、3時間超えてもお腹にもたれない。かつ、あ、これ、やべー、という感じが、しっかり伝わってくる。これまで筆者が観てきたハムレットの中でも出色のプロダクションだと思う。
<で、ここからネタバレ>
で、これだけ抑えて3時間45分進行しても、でも、やっぱり、最後はみーんな死んじゃうんだよね。そのカタルシスに対する照れくささは、みんな死んじゃう以上、拭い去れないわけで。さて、どうする?
2013年に上演された多田淳之介のハムレットは、みんなが死ぬシーンの前で芝居をぶったち切ってしまって、それはそれで「おお!」と思ったのだが。
今回のアイク演出では、ラスト、死者たちは、舞台上に設けられた大きな窓(引き戸)の向こう、舞台奥へと一人ずつ去って行く。舞台奥では、冒頭に現れたパーティーの続きが展開しているようにも思われる。それを舞台奥に感じながら、客の方を向いてニヤッとするハムレット。舞台奥のピクチャーに自分も加わろうとしているのか?
ん? これは、いやいやいや、これは、あれですか?
シャイニング
ですか? 舞台奥に加わって、みんなが満面の笑みで写真撮影したら、まるっきりシャイニングじゃないですか?その写真がお城の壁に飾られる、っていう趣向ですか?
とまあ、実際にはシャイニングみたいには終わらなかったのだけれど、でもね、終演後、一緒に観てた娘に「あのラストは一体何だい」ってきいたら、何と、娘曰く、
あれは、タイタニックのラストです。
世代差はあるにせよ、同じようなことを感じていたらしい。筆者、タイタニックは観ていないので何とも言えないが。
いやはや、「時計の着脱」の意味づけについてもアイクさんに聞いてみたい気がするが、いや、でも、なにもシャイニングとかタイタニックにしなくとも、十分締まった見応えのある上演だったと、筆者は思ってるんですよ。そこら辺、どうですか?
2017年3月28日火曜日
The Red Shed
11/02/2017 15:00 @Battersea Arts Centre
アクティヴィスト芸人Mark Thomasの一人ショー。昨年のエディンバラで観て、相当のインパクトがあったのだが、今回ロンドン、Battersea Arts Centreでの上演ということで、再度拝見。
<昨年観たときの感想はこちら>
http://tokyofringeaddict.blogspot.co.uk/2016/09/mark-thomas-red-shed-edinburgh-festival.html
Thomas自身、今回の会場にほど近いClapham生まれということもあって、去年Traverseで観たときよりも客席との距離が近く感じる。今回BACは初めてだったのだけれど、ひょっとするとBACという小屋の雰囲気なのかも知れないけれど。
やはり、自分の中の美しい物語を解きほぐしてそのルーツに迫り、その過程がまた新たな物語を産むという、良質なロードムービーの美徳をきっちり備えながら、舞台ならではの仕掛け - ICレコーダー再生、観客を巻き込んだ合唱等々 - を使って、その劇場にいるという体験自体を一つの記憶として刻み込みに来る。観客としては、「Mark Thomasの物語」「それを解き明かすMark Thomasの旅の物語」「そこで解き明かされる生き証人たちの物語」「それを聴かされる自分の物語」を行き来して、劇場を出たときには、おそらく、色んな記憶がぐしゃっとなりながら、ボトムラインでは「あぁ、お面白かった!」っていう、それはそれで一つの美しい物語を持って帰るのだろう。
方法論とテーマ、語り口等々、様々なものが、実に幸福に共存していて、それは、Mark Thomasの資質・企みによるものなのか、それとも今回のテーマが偶々ヒットしたのか。どうも筆者には前者のように思われて、このアクティヴィスト芸人、ソフトにアジりに来てるんだなあ、しかもそれが相当上手ときてる、というように思われて、次回公演も見逃せないな、と思った次第。
アクティヴィスト芸人Mark Thomasの一人ショー。昨年のエディンバラで観て、相当のインパクトがあったのだが、今回ロンドン、Battersea Arts Centreでの上演ということで、再度拝見。
<昨年観たときの感想はこちら>
http://tokyofringeaddict.blogspot.co.uk/2016/09/mark-thomas-red-shed-edinburgh-festival.html
Thomas自身、今回の会場にほど近いClapham生まれということもあって、去年Traverseで観たときよりも客席との距離が近く感じる。今回BACは初めてだったのだけれど、ひょっとするとBACという小屋の雰囲気なのかも知れないけれど。
やはり、自分の中の美しい物語を解きほぐしてそのルーツに迫り、その過程がまた新たな物語を産むという、良質なロードムービーの美徳をきっちり備えながら、舞台ならではの仕掛け - ICレコーダー再生、観客を巻き込んだ合唱等々 - を使って、その劇場にいるという体験自体を一つの記憶として刻み込みに来る。観客としては、「Mark Thomasの物語」「それを解き明かすMark Thomasの旅の物語」「そこで解き明かされる生き証人たちの物語」「それを聴かされる自分の物語」を行き来して、劇場を出たときには、おそらく、色んな記憶がぐしゃっとなりながら、ボトムラインでは「あぁ、お面白かった!」っていう、それはそれで一つの美しい物語を持って帰るのだろう。
方法論とテーマ、語り口等々、様々なものが、実に幸福に共存していて、それは、Mark Thomasの資質・企みによるものなのか、それとも今回のテーマが偶々ヒットしたのか。どうも筆者には前者のように思われて、このアクティヴィスト芸人、ソフトにアジりに来てるんだなあ、しかもそれが相当上手ときてる、というように思われて、次回公演も見逃せないな、と思った次第。
2017年3月27日月曜日
The Kid Stays in the Picture
11/03/2017 19:30 @Royal Court Theatre, Downstairs
ハリウッドの映画プロデューサー、Love Story、The Godfather、Cotton Club等を手がけたロバート・エバンズの自伝を、サイモン・マクバーニーが舞台化。
3月4日がプレビュー初日。テクニカルに相当作り込んだ舞台にするのだろうから、若干こなれてきた11日に観に行くのが良かろうと思ってRoyal Courtまで来てみれば、何とプレビューは延期されていて、筆者の観る回がプレビュー初回ということになっていた。道理で怖い顔したマクバーニーが劇場内歩きまわっとったわ、と妙に得心。本当の初回が観られて、吉と出るか凶と出るか。幕前にRoyal Courtの芸術監督とマクバーニーが並んで出てきて、「新作プレミアへようこそ! 実はゲネもやってません、よろしく!」みたいなご挨拶。80年代小劇場演劇、アリス界隈ではそういうのも結構あったよなー、何て思いながら、このわくわく感は、正直、大好きです。
で、パフォーマンス始まってみると、こなれてないのはしょうが無いとして、テクニカルな理由で上演が途切れることもなく、無難に公演終了。舞台上のアクリル板に、客席上に設けられたプロンプターのディスプレイが映り込んでいて「ああ、台詞入るところまで来ていないのかなあ」と思ったが、後でメディアのレビューを読んでもどうやら映り込んでいたみたいなので、おそらくそれはプレビューだから、ということではなかったのだろう。
語り手と身体を動かす人を分けたり一緒にしたり、投影した背景と役者を並べてそれを更に撮影して投影したり、それはそれはテクニカルに大変なことをやっているのは良ーく分かったが、構成・意匠としてはBeware of Pityとそんなに変わることがなかったし(しかもBeware of Pityの方が、観客と語り手の距離の取り方と、記憶の共有の仕方とに、はるかに説得力があった)、一方で、物語の「語り」の一形態としてこの舞台を捉えるとすると、導入から客の引っ張り込み方、突き放し方等々、Encounterには比べるべくもない。この、ハリウッドプロデューサーの一代記を、なんで語りたくなったのかが明確でないまま、メソッドだけは自分が目下取り組んでいることを思いっきり放り込んで、どうだ? っていう感じなのだろうか。
もちろん、役者も達者だし、話自体も荒唐無稽かつノンフィクションなので、へえー、という感じではある。でも、そこまで。それ以上になにか、と言われると出てこない。
要は、ピンと来なかった。あるいは、面白くなかった。あるいは、フツー。
マクバーニーに対し、常に、より新しいことを求める、ということではない。コンプリシテのプロダクションが過去100%面白かったというわけでもない。だから、この作品がイマイチ冴えないからといって、マクバーニーへの信頼度が落ちるわけでは全くないのだけれど。
ハリウッドの映画プロデューサー、Love Story、The Godfather、Cotton Club等を手がけたロバート・エバンズの自伝を、サイモン・マクバーニーが舞台化。
3月4日がプレビュー初日。テクニカルに相当作り込んだ舞台にするのだろうから、若干こなれてきた11日に観に行くのが良かろうと思ってRoyal Courtまで来てみれば、何とプレビューは延期されていて、筆者の観る回がプレビュー初回ということになっていた。道理で怖い顔したマクバーニーが劇場内歩きまわっとったわ、と妙に得心。本当の初回が観られて、吉と出るか凶と出るか。幕前にRoyal Courtの芸術監督とマクバーニーが並んで出てきて、「新作プレミアへようこそ! 実はゲネもやってません、よろしく!」みたいなご挨拶。80年代小劇場演劇、アリス界隈ではそういうのも結構あったよなー、何て思いながら、このわくわく感は、正直、大好きです。
で、パフォーマンス始まってみると、こなれてないのはしょうが無いとして、テクニカルな理由で上演が途切れることもなく、無難に公演終了。舞台上のアクリル板に、客席上に設けられたプロンプターのディスプレイが映り込んでいて「ああ、台詞入るところまで来ていないのかなあ」と思ったが、後でメディアのレビューを読んでもどうやら映り込んでいたみたいなので、おそらくそれはプレビューだから、ということではなかったのだろう。
語り手と身体を動かす人を分けたり一緒にしたり、投影した背景と役者を並べてそれを更に撮影して投影したり、それはそれはテクニカルに大変なことをやっているのは良ーく分かったが、構成・意匠としてはBeware of Pityとそんなに変わることがなかったし(しかもBeware of Pityの方が、観客と語り手の距離の取り方と、記憶の共有の仕方とに、はるかに説得力があった)、一方で、物語の「語り」の一形態としてこの舞台を捉えるとすると、導入から客の引っ張り込み方、突き放し方等々、Encounterには比べるべくもない。この、ハリウッドプロデューサーの一代記を、なんで語りたくなったのかが明確でないまま、メソッドだけは自分が目下取り組んでいることを思いっきり放り込んで、どうだ? っていう感じなのだろうか。
もちろん、役者も達者だし、話自体も荒唐無稽かつノンフィクションなので、へえー、という感じではある。でも、そこまで。それ以上になにか、と言われると出てこない。
要は、ピンと来なかった。あるいは、面白くなかった。あるいは、フツー。
マクバーニーに対し、常に、より新しいことを求める、ということではない。コンプリシテのプロダクションが過去100%面白かったというわけでもない。だから、この作品がイマイチ冴えないからといって、マクバーニーへの信頼度が落ちるわけでは全くないのだけれど。
Amadeus
14/03/2017 19:30 @National Theatre, Olivier
2016年シーズンNational Theatreのスマッシュヒット。とにかく評判が良くてチケットも取れず、ようやく観ることが出来た。やはり、文句の付けようのない出来映え。
筆者は学生時代、英語劇でこの芝居にかかわっていたので、全体の構成、細かい台詞、そういうところまで割と覚えていたのだけれど、それと比べても、今回のプロダクションでは、特に奇をてらったとか、大幅に切り貼りしたとか、そういうのは感じなかった。飽くまでスタンダードに、でも、2017年に上演するからにはその観客に向けてどのように見せていくのか。そこへの目配り・気配りが本当に丁寧で、その丁寧さを実現できる予算もバッチリついて、なんて羨ましいプロダクションなのだろう、と思ったことである。
生真面目なサリエリに、下ネタ連発のモーツァルト(30年の月日を経て、それなりに年取って、英語の単語も増えてから聞くと、そのお下品さが分かり易くなっていた!)、おバカキャラ全開のヨーゼフ二世、かわいこちゃんでなくて、地に足がついていてすれてさばけた感じのコンスタンツァ、生声でマジックフルートのアリア歌って魅せたカテリーナ、何故か映画でも英語劇でも今回プロダクションでもしゃべり方が一緒になってしまうローゼンバーグ、嬉々として演技もしちゃうオーケストラの面々、幕間にステージ上で自撮りするバイオリニスト、楽器持った間者の二人、女性フォンストラック、その他全員、全ての役者が魅力的で、作りも丁寧で、なんだか、「うわー!素敵だなー」と、素直に思ってしまった。
<ここでネタバレ>
実は、アマデウスのクライマックスというと「死ね−!アマデウス、てめー、死ねやー!」の絶叫が英語劇以来頭にこびりついていたのだが、今回は、その絶叫は無し。
その代わりに、この生真面目なサリエリ、モーツァルトの家で一緒にすすり泣いちゃって、こりゃまあ、酷い女(ここでは神様!)に魅了されて、お互い貶め合ったりケンカしたり色々あったりした挙げ句、最後は両方その女に裏切られてすすり泣き大会、ってのが、驚きとともに、うん、それは大いにあり、もっともな展開だとも思えてしまう。
とにかく上質で、おそらく、演劇を見つけていない人にも100%楽しめて、隙の無いプロダクション。UK演劇の底力。
2016年シーズンNational Theatreのスマッシュヒット。とにかく評判が良くてチケットも取れず、ようやく観ることが出来た。やはり、文句の付けようのない出来映え。
筆者は学生時代、英語劇でこの芝居にかかわっていたので、全体の構成、細かい台詞、そういうところまで割と覚えていたのだけれど、それと比べても、今回のプロダクションでは、特に奇をてらったとか、大幅に切り貼りしたとか、そういうのは感じなかった。飽くまでスタンダードに、でも、2017年に上演するからにはその観客に向けてどのように見せていくのか。そこへの目配り・気配りが本当に丁寧で、その丁寧さを実現できる予算もバッチリついて、なんて羨ましいプロダクションなのだろう、と思ったことである。
生真面目なサリエリに、下ネタ連発のモーツァルト(30年の月日を経て、それなりに年取って、英語の単語も増えてから聞くと、そのお下品さが分かり易くなっていた!)、おバカキャラ全開のヨーゼフ二世、かわいこちゃんでなくて、地に足がついていてすれてさばけた感じのコンスタンツァ、生声でマジックフルートのアリア歌って魅せたカテリーナ、何故か映画でも英語劇でも今回プロダクションでもしゃべり方が一緒になってしまうローゼンバーグ、嬉々として演技もしちゃうオーケストラの面々、幕間にステージ上で自撮りするバイオリニスト、楽器持った間者の二人、女性フォンストラック、その他全員、全ての役者が魅力的で、作りも丁寧で、なんだか、「うわー!素敵だなー」と、素直に思ってしまった。
<ここでネタバレ>
実は、アマデウスのクライマックスというと「死ね−!アマデウス、てめー、死ねやー!」の絶叫が英語劇以来頭にこびりついていたのだが、今回は、その絶叫は無し。
その代わりに、この生真面目なサリエリ、モーツァルトの家で一緒にすすり泣いちゃって、こりゃまあ、酷い女(ここでは神様!)に魅了されて、お互い貶め合ったりケンカしたり色々あったりした挙げ句、最後は両方その女に裏切られてすすり泣き大会、ってのが、驚きとともに、うん、それは大いにあり、もっともな展開だとも思えてしまう。
とにかく上質で、おそらく、演劇を見つけていない人にも100%楽しめて、隙の無いプロダクション。UK演劇の底力。
2017年3月26日日曜日
Lost Without Words
18/03/2017 18:00 @National Theatre, Dorfman
キャリアの長いシニア俳優(70代、80代)を6人舞台に載せて(筆者が拝見した日は男性がお一人都合で出演せず、5人のプロダクションとなったが)、
演出家2人の演出のもとで、即興の芝居を披露する、という試み。なんだか大喜利っぽくもある。完全即興の掌編5本、大変楽しんだ。
当日のお題は、(1)前庭で世間話する老人二人、(2)"d"を使わないで話して下さい、(3)ベッドの二人、(4)弟の思い出独り語り、(5)居心地の良い地元のクラブ、(6)全部の台詞で韻を踏んで下さい、の6本立て。
筆者の先入観として、英国の役者は「既にある言葉を発する」ことを重視している印象があって、自分で台詞を創りながら話さなきゃならない時にどういう態度を取るのかには非常に興味があったのだが、やはり、状況を説明しだしてしまう人あり(説明台詞100%!)、演出に与えられた状況をそのまま台詞として発語してしまう人あり、つなぎ・受身の演技に徹して物語の進行への貢献は放棄する人ありと、様々な反応が見られて興味深い。でも、やっぱり、筆者にとっては、物語をどこかに運ぼうとしない演技の中から裂け目が現れて、舞台上の空気が突拍子もないところへと向かっていく瞬間がいちばん楽しかった。
演技中に容赦なくだめ出しする演出家二人。「こう言って下さい」「こう展開して下さい」「その展開はあなたたちが思っているほど面白くないですよ」。それも観客の面前で。
それに応えながら、どのように「自分ならではの一刺し」の演技・一言を繰り出すかを忘れないのが、老練・手練れの役者陣。この回も、予想もつかない決め台詞ビシッと決めて暗転、なんていうこともあって、それは、演技を楽しむというよりはむしろやっぱり大喜利の醍醐味。
最後、演出による役者紹介「この役者たちは、一切を捨て、勇気だけをもって舞台に上がってくれました」。違うだろ。勇気だけじゃない。技術と老獪さも一緒に持って上がっていたよ。
キャリアの長いシニア俳優(70代、80代)を6人舞台に載せて(筆者が拝見した日は男性がお一人都合で出演せず、5人のプロダクションとなったが)、
演出家2人の演出のもとで、即興の芝居を披露する、という試み。なんだか大喜利っぽくもある。完全即興の掌編5本、大変楽しんだ。
当日のお題は、(1)前庭で世間話する老人二人、(2)"d"を使わないで話して下さい、(3)ベッドの二人、(4)弟の思い出独り語り、(5)居心地の良い地元のクラブ、(6)全部の台詞で韻を踏んで下さい、の6本立て。
筆者の先入観として、英国の役者は「既にある言葉を発する」ことを重視している印象があって、自分で台詞を創りながら話さなきゃならない時にどういう態度を取るのかには非常に興味があったのだが、やはり、状況を説明しだしてしまう人あり(説明台詞100%!)、演出に与えられた状況をそのまま台詞として発語してしまう人あり、つなぎ・受身の演技に徹して物語の進行への貢献は放棄する人ありと、様々な反応が見られて興味深い。でも、やっぱり、筆者にとっては、物語をどこかに運ぼうとしない演技の中から裂け目が現れて、舞台上の空気が突拍子もないところへと向かっていく瞬間がいちばん楽しかった。
演技中に容赦なくだめ出しする演出家二人。「こう言って下さい」「こう展開して下さい」「その展開はあなたたちが思っているほど面白くないですよ」。それも観客の面前で。
それに応えながら、どのように「自分ならではの一刺し」の演技・一言を繰り出すかを忘れないのが、老練・手練れの役者陣。この回も、予想もつかない決め台詞ビシッと決めて暗転、なんていうこともあって、それは、演技を楽しむというよりはむしろやっぱり大喜利の醍醐味。
最後、演出による役者紹介「この役者たちは、一切を捨て、勇気だけをもって舞台に上がってくれました」。違うだろ。勇気だけじゃない。技術と老獪さも一緒に持って上がっていたよ。
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