09/04/2016 19:30 @Royal Court Theatre, Downstairs
前作Pomonaが好評だったAlistair McDowall の新作SF。今回も時間のシークエンスを崩してバラして、時空をドンドン針飛びさせて、付いて来れない方はそれでも良い、みたいな、まんま80年代日本の小劇場演劇、っていう仕立ては前回通り。但しもちろん、UKには野田さんはいないので、フィジカルな舞台に流れるんじゃなくて、「台詞劇」「物語劇」チックなUK芝居の伝統の延長にあることもまた、間違いないのだけれど。
前作Pomonaは、マンチェスターの中心部の地下深くに、巨大な赤ん坊工場が隠されている、という設定だった。
今回の芝居、Xの登場人物は、地球との連絡が途絶えた冥王星の基地に取り残されたイギリス人隊員たち(何故そこにいるのが全員イギリス人なのかはきっちり説明台詞が用意されていて)。75時間の昼と75時間の夜を繰り返す冥王星の日々、連絡の途絶えた地球は滅亡してしまったのか、火星はどうなのか、果たして助けは来るのか、来ないのか。
うーん、なんだかありがちだなー、しかも、そういうシチュエーションだけ取り出して芝居を組み立てようっていったって、そこで止まっちゃうんじゃ、畑澤さんのロボむつには問題意識と想像力の広がりにおいてとてもかなわないよなぁ、とは思うけれど、まぁ、30にもならない若手の作家なので、そこら辺りはお目こぼしして楽しもう。
物語の展開としては、萩尾望都とソラリスを足して3倍に薄めてって感じだろうか。とにかく、出だしのシーンが3流映画でがっかりするのだが、途中、「おお!これは良いシーンだな」と思わせるところもあって、「このシーンで始めててくれれば、もうっと面白く観れたはずなのに」と、あらぬ注文も出したくなる。そうしたアップダウンに一喜一憂しているうちに二幕2時間超、飽きずに観終わっていた。
隔絶された閉じられた場所を舞台にすると、そんなに行動のバリエーションが期待できるわけでもないので、あとは台詞・演出、そして役者の力量次第。必ずしも全てが上手くかみ合っていたとは思わないけれど、そしてむしろアラも目立つ作品だったけれど、2時間半、大いに堪能した。
この間トラファルガー・スクエアで観た「4分12秒」での突っ放した演技が光っていたRia Zmitrowiczが、この作品でも超いい味を出していて、筆者としては、こういう役者がきちんと評価されて大きな役でも演技が変わらないで成長していく、っていうのを期待したい。
2016年5月8日日曜日
Cyprus Avenue
09/04/2016 15:00 @Royal Court Theatre, Upstairs
東ベルファストのいいとこに住んでるユニオニスト(北アイルランドはブリテンとの連合王国に残留すべき。アイルランド共和国と一緒になるべきではないと主張している人)の男性が、ある日生後5ヶ月の孫娘を見たら、何とその顔がシンフェイン(北アイルランドはアイルランド共和国と一緒になるべきと主張している政党)の党首、ジェリー・アダムズ(この人を単なる政治家だと思っている人はいないです。テロリスト呼ばわりする人もいます。でも、和平交渉において重要な役割を果たした人でもある)の顔だった、さあどうする、という、一見、シュールな笑話風の物語。
これ、どういうコンテクストなのかは、北アイルランド問題に関心の薄い人や、ジェリー・アダムズと言ってピンとこない人に説明するのがややこしいのだけれど、いや、かくいう筆者自身も、どこまで「余
所者に開示できないコンテクスト」を理解しての芝居を観ていたかは計り知れない。
日本に翻案するとすれば、自称良識派の退役キャリア公安(ただしもちろん前提抜きの自民党支持で、自宅の本棚には嫌韓本がちらほらあったりする)が、ある日孫娘の顔を見ると、それが宮本顕治か不破哲三かなんかだった、っていう感じでしょうか。いや、そんなヌルい設定では済まないんだろうな。
筆者は「バカの壁」読んでいないが、多分、雑誌で養老氏の主張を読んでる限り、この芝居は、乱暴な言い方をすれば「バカの壁」を打破できない中高年の話として括ってしまえると思う。自らを規定する価値観や、その価値観を規定していると自らが考えている外部環境が、当初の設定からずれてきてしまったときに、当初の設定をどのように修正していくのか、していけないのか。それが自分の外へのアクションとしてはどのような形を取りうるのかについての考察である。
その考察を、北アイルランドという特定の状況に投げ込んでみたときに、それが、思っていた以上の劇的効果を生んでしまうことがあるのだ、ということだと考えている。
笑話風の出だしが、思わぬ展開を見せて悲劇に繋がっていくというのは、古今東西、芝居や小説でよくある話ではあるけれども、それを一種架空の話、作り物として笑い飛ばしてしまえるのか、それともリアルなものとして受け取られるのかは、上演される場所や観客のおかれたコンテクストによって異なってくる。少なくとも、この、ベルファストのユニオニストのアイデンティティ・クライシスは、UKで上演される限りにおいては、相当シリアスで、設定はともかくとしてリアクションとしてはリアルで、人の生き死にのシーンも、これまでアイルランドやイングランドで流されてきた血の量を確実に反映している。
そういう生々しさを日本の舞台で観ることは希だ。もっと言うと、欧州の舞台で観ることも希だ。この生々しさが、この笑話→悲劇が、芝居として、「今、ここで、上演されることの意義」を大いに支えている。
主演のStephen Raeは、アイルランドを代表する名優だそうです。すみません、知らなかった・・・ 娘を演じるAmy Molloyがなかなかの好演。去年のエディンバラで観たクソ芝居No. 1を一人で演じていたときとはエラい違いで、好感度大。こんなきちんとした芝居が出来る人だったのね。見直しました。
東ベルファストのいいとこに住んでるユニオニスト(北アイルランドはブリテンとの連合王国に残留すべき。アイルランド共和国と一緒になるべきではないと主張している人)の男性が、ある日生後5ヶ月の孫娘を見たら、何とその顔がシンフェイン(北アイルランドはアイルランド共和国と一緒になるべきと主張している政党)の党首、ジェリー・アダムズ(この人を単なる政治家だと思っている人はいないです。テロリスト呼ばわりする人もいます。でも、和平交渉において重要な役割を果たした人でもある)の顔だった、さあどうする、という、一見、シュールな笑話風の物語。
これ、どういうコンテクストなのかは、北アイルランド問題に関心の薄い人や、ジェリー・アダムズと言ってピンとこない人に説明するのがややこしいのだけれど、いや、かくいう筆者自身も、どこまで「余
所者に開示できないコンテクスト」を理解しての芝居を観ていたかは計り知れない。
日本に翻案するとすれば、自称良識派の退役キャリア公安(ただしもちろん前提抜きの自民党支持で、自宅の本棚には嫌韓本がちらほらあったりする)が、ある日孫娘の顔を見ると、それが宮本顕治か不破哲三かなんかだった、っていう感じでしょうか。いや、そんなヌルい設定では済まないんだろうな。
筆者は「バカの壁」読んでいないが、多分、雑誌で養老氏の主張を読んでる限り、この芝居は、乱暴な言い方をすれば「バカの壁」を打破できない中高年の話として括ってしまえると思う。自らを規定する価値観や、その価値観を規定していると自らが考えている外部環境が、当初の設定からずれてきてしまったときに、当初の設定をどのように修正していくのか、していけないのか。それが自分の外へのアクションとしてはどのような形を取りうるのかについての考察である。
その考察を、北アイルランドという特定の状況に投げ込んでみたときに、それが、思っていた以上の劇的効果を生んでしまうことがあるのだ、ということだと考えている。
笑話風の出だしが、思わぬ展開を見せて悲劇に繋がっていくというのは、古今東西、芝居や小説でよくある話ではあるけれども、それを一種架空の話、作り物として笑い飛ばしてしまえるのか、それともリアルなものとして受け取られるのかは、上演される場所や観客のおかれたコンテクストによって異なってくる。少なくとも、この、ベルファストのユニオニストのアイデンティティ・クライシスは、UKで上演される限りにおいては、相当シリアスで、設定はともかくとしてリアクションとしてはリアルで、人の生き死にのシーンも、これまでアイルランドやイングランドで流されてきた血の量を確実に反映している。
そういう生々しさを日本の舞台で観ることは希だ。もっと言うと、欧州の舞台で観ることも希だ。この生々しさが、この笑話→悲劇が、芝居として、「今、ここで、上演されることの意義」を大いに支えている。
主演のStephen Raeは、アイルランドを代表する名優だそうです。すみません、知らなかった・・・ 娘を演じるAmy Molloyがなかなかの好演。去年のエディンバラで観たクソ芝居No. 1を一人で演じていたときとはエラい違いで、好感度大。こんなきちんとした芝居が出来る人だったのね。見直しました。
2016年5月5日木曜日
The Caretaker
02/04/2016 19:30 @Old Vic
引越当日の夜に3時間30分の芝居。しかもピンター。しかも退屈。大失敗。
ピンターの古典をTimothy Spall、Daniel Mays、George MacKayの3人でって言うんで相当期待値を上げて臨んだのだが、見事にコケた。この前、同じOld Vicで観たThe Master Builderが、いや、そんなに気が利いた舞台とは言えなかったけれども、それでも、レイフ・ファインズがとっても真面目に、真摯に芝居してて、メッセージが真っ直ぐに伝わってきてたのとではエラい違いである。
幕前にかかっている思わせぶりな音楽を聞いていやーな予感はしたのだが。ティモシー・スポールが期待を大きく裏切るイモ演技。寄ってらっしゃい見てらっしゃいなガナり芝居で、変な顔や考え込む顔、困った顔をするのにいちいち面を切らないと前に進まないという徹底ぶり。これじゃこの先どうなるんだろうと一幕の途中で心配していたら、案の定一幕ラストのGeorge MacKayの台詞”What’s the game?”が力の入った迷台詞となって客席に突き刺さる失笑もの。
救いだったのはDaniel Maysの抑制の効いた演技で、昨年観たThree Red Lionでの艶ッ気たっぷりのアグレッションはどこかに封印して、今回はそういうのを全て内に隠して想像力を刺激する演技を見せてくれたのが大きな収穫。
その他はあんまり見るべきものなし。大変残念な舞台。
引越当日の夜に3時間30分の芝居。しかもピンター。しかも退屈。大失敗。
ピンターの古典をTimothy Spall、Daniel Mays、George MacKayの3人でって言うんで相当期待値を上げて臨んだのだが、見事にコケた。この前、同じOld Vicで観たThe Master Builderが、いや、そんなに気が利いた舞台とは言えなかったけれども、それでも、レイフ・ファインズがとっても真面目に、真摯に芝居してて、メッセージが真っ直ぐに伝わってきてたのとではエラい違いである。
幕前にかかっている思わせぶりな音楽を聞いていやーな予感はしたのだが。ティモシー・スポールが期待を大きく裏切るイモ演技。寄ってらっしゃい見てらっしゃいなガナり芝居で、変な顔や考え込む顔、困った顔をするのにいちいち面を切らないと前に進まないという徹底ぶり。これじゃこの先どうなるんだろうと一幕の途中で心配していたら、案の定一幕ラストのGeorge MacKayの台詞”What’s the game?”が力の入った迷台詞となって客席に突き刺さる失笑もの。
救いだったのはDaniel Maysの抑制の効いた演技で、昨年観たThree Red Lionでの艶ッ気たっぷりのアグレッションはどこかに封印して、今回はそういうのを全て内に隠して想像力を刺激する演技を見せてくれたのが大きな収穫。
その他はあんまり見るべきものなし。大変残念な舞台。
2016年5月4日水曜日
The Father
26/03/2016 14:30 @The Duke of York's
昨年、Bathで初演され、その後ロンドンのTricycleでも大好評、ウェストエンドに移ってそこでも大成功し、小屋を変えて今年まで上演の続いた大ヒット作。残念ながらUKの作家ではなくフランス人による戯曲の翻訳だけれども、2度目の観劇にも十分に耐える質の高さ。主演のKenneth Crahamはこの役でオリビエの主演男優賞を獲得、それも当然と思わせる。
Tricycleの上演からは、主演と看護士役の女優を除いて、(キーとなる娘役も含めて)役者が殆ど入れ替わったこのプロダクションだが、これだけ戯曲が良くて、かつ演出のコンセプトがしっかりしていると、役者が変わったぐらいでは芝居の屋台骨がぐらつかない。むしろ、娘役の役者のトーンが、Tricycleで観たときの「一見お節介でウェットにも見える娘像」から、「ドライで時に突き放したようにも感じる」印象へと変化したのを、ポジティブに楽しめた。
それにしても、父親の主観と「神の視点」の客観を見事に組み合わせながら、本筋から逸脱せずに観客をぐっと引きつけて、正解を示さずともメッセージががっちり伝わる見事な戯曲。
大いに堪能した。
昨年、Bathで初演され、その後ロンドンのTricycleでも大好評、ウェストエンドに移ってそこでも大成功し、小屋を変えて今年まで上演の続いた大ヒット作。残念ながらUKの作家ではなくフランス人による戯曲の翻訳だけれども、2度目の観劇にも十分に耐える質の高さ。主演のKenneth Crahamはこの役でオリビエの主演男優賞を獲得、それも当然と思わせる。
Tricycleの上演からは、主演と看護士役の女優を除いて、(キーとなる娘役も含めて)役者が殆ど入れ替わったこのプロダクションだが、これだけ戯曲が良くて、かつ演出のコンセプトがしっかりしていると、役者が変わったぐらいでは芝居の屋台骨がぐらつかない。むしろ、娘役の役者のトーンが、Tricycleで観たときの「一見お節介でウェットにも見える娘像」から、「ドライで時に突き放したようにも感じる」印象へと変化したのを、ポジティブに楽しめた。
それにしても、父親の主観と「神の視点」の客観を見事に組み合わせながら、本筋から逸脱せずに観客をぐっと引きつけて、正解を示さずともメッセージががっちり伝わる見事な戯曲。
大いに堪能した。
2016年5月3日火曜日
Uncle Vanya
19/03/2016 19:30 @Almeida Theatre
新進気鋭、このところ、1984やOresteiaと、続けざまにAlmeidaでヒットを飛ばしているRobert Ickeの演出によるチェーホフ。期待に違わず素晴らしかった。舞台を19世紀ロシアから現代UKに置き換えて、しかし、それが妙なへつらいや観客への媚びではなく、今、ここで、この戯曲を上演する理由って何だろうという問いへの真摯な回答になっていると感じられた。戯曲に忠実に、コンテクストに敏感に、そして力強い。
地方にとどまって、地道で無味な暮らしを続けながら、都市に暮らす「遊民」を養う姿は、19世紀ロシアや現代UKにもあったのかも知れないが、筆者自身にはどうしても、昭和30年代以降の日本に重なって映る。それは、高度成長期に「輝く未来」を手形に親のすねをかじった筆者の両親や、バブル絶頂期に大学生をしていた筆者自身の姿である。筆者自身も「田舎嫌い」を自認しているけれども、例えば、新聞記者になる夢を諦めて田舎の地主として暮らした母方の伯父(伯父の楽しみは、テレビでNHKのクラシック音楽を聴くことである)は、この芝居、どう映るのだろう。そもそも彼らは、やはり田舎の暮らしに倦んでいるのか、それとも、彼らは表面上は田舎暮らしに倦みながら、実は、その地道で無味で退屈な暮らしになにがしか歓びを認めていたりするのだろうか?戦後50−60年かけてコツコツ働いたカネ、深夜残業を繰り返して貯めたカネ、家族と離れて出稼ぎして貯めたカネが、滅び行く日本にばらまかれて消えていく過程を見つめている、おそらく団塊よりも少し上の世代の人々には、この芝居、どう映るんだろうか?
時に軋む音を立てながらゆっくりと回る舞台装置が印象深い。一幕でちょうど一回転。最終幕、回り始めたところで、隣の老婦人二人連れが、「ほらほら、今度はXXXで回ってるわよ!」といきなり本質に切り込む会話をかましてくれる(ネタバレにつき内容は秘す)のが、Almeidaならではの醍醐味だった。
Vanessa Kirby演じるエレーナが、都会育ちで消費のみによって生きてきた美しい女、消費ばかりで何も産み出さぬ退屈な自分を、そういう退屈な人間だと客観視できるまでには物事が見えているのに、自らの力では最早そこから抜け出す術を持たない、いや、もしかすると抜け出す術を知っているのにそこに向かって踏み出すことの出来ない姿を正確なニュアンスで映し出して出色。いや、出色なのではなくて、実は、筆者自身がそこに大いに移入してしまった、というだけのことなのかもしれないが。
新進気鋭、このところ、1984やOresteiaと、続けざまにAlmeidaでヒットを飛ばしているRobert Ickeの演出によるチェーホフ。期待に違わず素晴らしかった。舞台を19世紀ロシアから現代UKに置き換えて、しかし、それが妙なへつらいや観客への媚びではなく、今、ここで、この戯曲を上演する理由って何だろうという問いへの真摯な回答になっていると感じられた。戯曲に忠実に、コンテクストに敏感に、そして力強い。
地方にとどまって、地道で無味な暮らしを続けながら、都市に暮らす「遊民」を養う姿は、19世紀ロシアや現代UKにもあったのかも知れないが、筆者自身にはどうしても、昭和30年代以降の日本に重なって映る。それは、高度成長期に「輝く未来」を手形に親のすねをかじった筆者の両親や、バブル絶頂期に大学生をしていた筆者自身の姿である。筆者自身も「田舎嫌い」を自認しているけれども、例えば、新聞記者になる夢を諦めて田舎の地主として暮らした母方の伯父(伯父の楽しみは、テレビでNHKのクラシック音楽を聴くことである)は、この芝居、どう映るのだろう。そもそも彼らは、やはり田舎の暮らしに倦んでいるのか、それとも、彼らは表面上は田舎暮らしに倦みながら、実は、その地道で無味で退屈な暮らしになにがしか歓びを認めていたりするのだろうか?戦後50−60年かけてコツコツ働いたカネ、深夜残業を繰り返して貯めたカネ、家族と離れて出稼ぎして貯めたカネが、滅び行く日本にばらまかれて消えていく過程を見つめている、おそらく団塊よりも少し上の世代の人々には、この芝居、どう映るんだろうか?
時に軋む音を立てながらゆっくりと回る舞台装置が印象深い。一幕でちょうど一回転。最終幕、回り始めたところで、隣の老婦人二人連れが、「ほらほら、今度はXXXで回ってるわよ!」といきなり本質に切り込む会話をかましてくれる(ネタバレにつき内容は秘す)のが、Almeidaならではの醍醐味だった。
Vanessa Kirby演じるエレーナが、都会育ちで消費のみによって生きてきた美しい女、消費ばかりで何も産み出さぬ退屈な自分を、そういう退屈な人間だと客観視できるまでには物事が見えているのに、自らの力では最早そこから抜け出す術を持たない、いや、もしかすると抜け出す術を知っているのにそこに向かって踏み出すことの出来ない姿を正確なニュアンスで映し出して出色。いや、出色なのではなくて、実は、筆者自身がそこに大いに移入してしまった、というだけのことなのかもしれないが。
The Solid Life of Sugar Water
19/03/2016 15:00 @National Theatre, Temporary Theatre
昨年のエディンバラ・フェスティバルで観てから、妙に心に残っていた芝居。今回、ツレと一緒にNational Theatreまで出かけたのだが、再見して、やはり素晴らしい芝居なんだと言うことを再確認。
カップルの2人芝居で、2人とも障害を持った役者なのだけれど、それは単に「そういう人だ」ということでしかなくて、主題は、「どこにでもあること」「誰にでも起こりうること」の王道である。
「誰にでも起こりうるが、個別の事象としては、その特定のカップルにしか起きていないこと」にどう対処するのか、というテーマが、
「右手が不自由であること」「耳が不自由であること」にどう対処するのか、ということとのアナロジーとして示されることで、観客にとってよりよく理解できる構造になっている。
そして、それはまた、(2人が)共有している状況と(お互いに)共有し得ない何か、の境界線ともリンクしていて、その境界は舞台上のカップルによってギリギリまで突き詰められる。
そして、多分とても大事なことは、「どこかで折り合いを付ける」ということで、それが、時として上手くいったり、上手くいかなかったり、それでも時間は前に進んで。
教訓じみたことではない。喜劇も悲劇も、それは「既に起きたこと」。そこから未来に向かって、希望と絶望が、同時に生まれ出る。それを、淡々と、同時に力強く、押しつけがましくなく、舞台に乗せていた。本当に素晴らしい芝居だと、改めて思った次第。
昨年のエディンバラ・フェスティバルで観てから、妙に心に残っていた芝居。今回、ツレと一緒にNational Theatreまで出かけたのだが、再見して、やはり素晴らしい芝居なんだと言うことを再確認。
カップルの2人芝居で、2人とも障害を持った役者なのだけれど、それは単に「そういう人だ」ということでしかなくて、主題は、「どこにでもあること」「誰にでも起こりうること」の王道である。
「誰にでも起こりうるが、個別の事象としては、その特定のカップルにしか起きていないこと」にどう対処するのか、というテーマが、
「右手が不自由であること」「耳が不自由であること」にどう対処するのか、ということとのアナロジーとして示されることで、観客にとってよりよく理解できる構造になっている。
そして、それはまた、(2人が)共有している状況と(お互いに)共有し得ない何か、の境界線ともリンクしていて、その境界は舞台上のカップルによってギリギリまで突き詰められる。
そして、多分とても大事なことは、「どこかで折り合いを付ける」ということで、それが、時として上手くいったり、上手くいかなかったり、それでも時間は前に進んで。
教訓じみたことではない。喜劇も悲劇も、それは「既に起きたこと」。そこから未来に向かって、希望と絶望が、同時に生まれ出る。それを、淡々と、同時に力強く、押しつけがましくなく、舞台に乗せていた。本当に素晴らしい芝居だと、改めて思った次第。
2016年4月18日月曜日
The Master Builder
12/03/2016 19:30 @The Old Vic
Ralph Fiennes主演。イプセン。Old Vic。David Hare脚色。観に行こう!
ということで、若干高めのチケットを買って出かけたのだが、2度の休憩を2回挟んだ2時間45分、チケット分は十分に楽しんだ。
舞台装置は相当お金がかかっていて格好良い仕上がり。
役者陣の演技は劇場の大きさに合わせたのか、若干新劇風な感じがしないでもないが、戯曲そのものがミッドライフクライシスを上手くいなすことが出来ずに自滅するバリキャリ中年男を描いていて相当に面白く、演技に辟易せずに舞台の進行を追っていられた。
こういう戯曲は、岩松さんの演出とか、東京乾電池とかで観られると相当面白い仕上がりになるんだろうなー、と思われた。
Ralph Fiennesは、"In Bruges"とか"The Hotel Grand Budapest"でも相当に真面目な演技をしていたのが印象に残っていたのだけれど、この芝居でも、主役を張ってることは間違いないのだけれど、いたずらにスター面するのでなく、きちんと真面目にミッドライフクライシスを演じていた。
これは、脇の役者陣にも言えたことなんだと思うけれど、生真面目な戯曲を生真面目に演出して演技すると、相当カチッと仕上がるのだけれど、「破れ」はない。突き抜けることもない。
初演が書かれた頃にはひょっとしてもっと突き抜けて見えたのかも知れないし、また、現代に持ってきたとしてもさほど古びたテーマでもなく、むしろ現代にも通じる話だなー、って思わせることの出来る芝居にカチッと仕上がったことは素晴らしいのだけれど、
うーん、どうしても、その先のことを期待してしまうと、「チケット代までは楽しんだんだけどね」
ってなってしまう。贅沢な悩みだろうか。
Ralph Fiennes主演。イプセン。Old Vic。David Hare脚色。観に行こう!
ということで、若干高めのチケットを買って出かけたのだが、2度の休憩を2回挟んだ2時間45分、チケット分は十分に楽しんだ。
舞台装置は相当お金がかかっていて格好良い仕上がり。
役者陣の演技は劇場の大きさに合わせたのか、若干新劇風な感じがしないでもないが、戯曲そのものがミッドライフクライシスを上手くいなすことが出来ずに自滅するバリキャリ中年男を描いていて相当に面白く、演技に辟易せずに舞台の進行を追っていられた。
こういう戯曲は、岩松さんの演出とか、東京乾電池とかで観られると相当面白い仕上がりになるんだろうなー、と思われた。
Ralph Fiennesは、"In Bruges"とか"The Hotel Grand Budapest"でも相当に真面目な演技をしていたのが印象に残っていたのだけれど、この芝居でも、主役を張ってることは間違いないのだけれど、いたずらにスター面するのでなく、きちんと真面目にミッドライフクライシスを演じていた。
これは、脇の役者陣にも言えたことなんだと思うけれど、生真面目な戯曲を生真面目に演出して演技すると、相当カチッと仕上がるのだけれど、「破れ」はない。突き抜けることもない。
初演が書かれた頃にはひょっとしてもっと突き抜けて見えたのかも知れないし、また、現代に持ってきたとしてもさほど古びたテーマでもなく、むしろ現代にも通じる話だなー、って思わせることの出来る芝居にカチッと仕上がったことは素晴らしいのだけれど、
うーん、どうしても、その先のことを期待してしまうと、「チケット代までは楽しんだんだけどね」
ってなってしまう。贅沢な悩みだろうか。
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