2007年6月3日日曜日

大人計画 ドブの輝き

02/06/2007 ソワレ

芝居のチケットを買うのにここまで頑張って買ったことは今まで無かったし、これからも無いだろう。

先行販売の抽選にことごとく外れ、一般前売り開始直後にチケットは蒸発し、大人計画の人気のほどを思い知り、自分の世間知らずを思い知った。
で、実は平日ソワレの当日券を買おうと思って電話かけたら思いのほか繋がったものの、「5時45分集合です」と、サラリーマン殺しの一言。平日ソ ワレを断念し、悔しさの余り何と土曜ソワレの当日券を狙う暴挙。案の定電話は繋がらず、繋がらないどころかNTTから「ただいまこの方面には電話が繋がり にくい状態で」などと、婉曲に、「何しつこくかけてんだよこの演劇マニアがあぁ!!」と言われている様で、すごすごと引き下がってタイムアップ。駅に向か いながら未練たらたら掛けてみた所が繋がった、という次第ですが。

そこまでして観るほどの芝居か、と尋ねられれば。
「そこまでして観たい人が沢山いることについて、しっかり納得が出来ました」
という答になるだろう。

エンターテイニングかつセンスもあって、役者に力がある。あと、人気があるのに、「客の笑いをとりにいかない」態度が良い。笑いたい人は笑ってください、そうでない人は笑わなくてよいです。僕らは自分が面白いと思うことをやっている。
という態度のように感じた。
なので、僕はそんなに笑わなかったけれど、面白いものを観た、とは確かにいえる。

(1つだけ例外があるとすれば、映画の中で執拗に阿部サダヲの変な顔を見せたがっていたのは、あれはダメだった)

でも、次回以降、気合入れてチケット手に入れて観に行くか?行きません。
公演回数を2倍に増やしてください。人気あるんですから。

(2時間半の芝居を1日2本はつらい。帰宅時にはぐったりして機嫌が異常に悪くなっていた)

シベリア少女鉄道 永遠かもしれない

02/06/2007 マチネ

正直言って、あんまり期待していなかったんである。
理由を具体的に書くと、シベリア少女鉄道と全く関係の無いところで波風が立つので書かないが、期待していなかったんである。

1980年代末に仕事をして以来のシアターグリーンは、見違えるような近代的なビルに立て替わり、ビルの中に2つも劇場が出来ていた。いきなり驚く。が、客席の質素さにちょっとだけほっとする。

で、芝居はといえば、これが、とても面白かった。期待していなかったことがすまんかった位に面白かった。2時間20分はちと長くて、もちろんもっと削る余地ありとは思ったけれど、それを補って余りあるくらい面白かったし、何しろセンスがある。

何をどうかいてもネタバレなので(とはいってももう日曜日で千秋楽ではあるが)できるだけ書かないことにするが、どこに「やられた」と思ったかというと、
・忠臣蔵とサザエさんのリンク付けとその落とし方
・2時間10分経過時、「そろそろ客席飽きてきたかな」のタイミングでの女子学生上手のはけ。
この2つが秀逸。

全体のノリは、何となく80年代の山の手事情社等、TOPSやアリスで観たような芝居を思い出したけれども、
・全体のフレームの嵌め方と役者のあてがい方
・「演劇のごっこ性」の、微妙なところで勘違いしない遊び方
を心得ているように見受けられて、妙な懐かしさ無し。

なるほど人気がある劇団なわけだ。納得した。

ただし、前半25分はたるいし、つらい。全体のフレームの嵌め方とエンディングに向けての加速度を考えたら今回のようなペース配分と序盤のスピードの無さはむしろ必要と考える向きもあるかもしれないけれど、
ハイバイのように、下手な説明台詞を「開演前の作・演出からのアナウンス」で代替して時間をセーブする方法もありなんですから。

2007年5月28日月曜日

ハイバイ おねがい放課後

27/05/2007 ソワレ

幸福な舞台である。
誰が幸福かといえば、岩井氏と志賀さんである。

自らのトラウマや生傷を舞台に載せるという岩井氏が、顔にマジックで皺を書き入れずに自分の妄想を嬉々として体現することのできる志賀さんを得たのであるからして、これが幸せでないわけが無い。

1年で3歳分年をとる大学生志賀ちゃん

という発想の時点で「勝った」と思って全く差し支えないけれども、それを一身に引き受けてもらえる幸せさよ。

観劇直後には思いつかなかったが、今朝になって、「何がこの芝居を愛されるものにしたのか」は、そこら辺にあるような気がしてきたのだ。

マドンナマチコちゃんが本当に可愛く書けているのにも感心したし、それを石橋亜希子がまた本当に可愛く演じていたし、佐々木役の星野秀介の肌のつやと志賀ちゃんさんの顔を並べて見ることの可笑しさも良い。
品川幸雄にモデルがいて、かつ、そのモデルに「あなたがモデルです」がきちんと断ってあるというのも驚きだったし。

おそらく、この芝居を「作・演出と主演男優の間のべたべたした幸せ感」で片付けるのはあまりにも乱暴に過ぎて、かつ、それが眼に入ったために見逃 したところが多々あると思うのだけれど、でも、僕が感じたのは、そしてこの芝居から目が離せなかったのは、そのべたべた感に理由があったのではないかと考 えています。

あ、そういえば、本日は、昼はヤマちゃん、夜はタケちゃんと、Novaのお二人の追っかけをしてしまった。40にもなってこんな人たちの追っかけとは、わしも仲々イキである。

桟敷童子 軍鶏307

27/05/2007 ソワレ

<この日記は、そもそも単身赴任中の小生が「もし嫁さんと一緒に観に行っていたら観終わった後にどう言っていただろうか」という趣旨でつけ ている、いわば、半分嫁さん宛ての私信みたいなもんだと思って読んでください。そこらへんはどうぞ斟酌してお読みください>

と、わざわざ前置きをして(とはいうものの、この言い回しはなかなか当たっていて、良い。また使おう)、書く。

アングラのうわべだけを借りた朝の連続テレビ小説ミュージカル with チキン・ランのプロット。

期せずして、唐さんや鄭さんや金守珍さんや内藤裕敬さんが如何に僕にとって「アングラ」であって、如何に自分の意識、「個」に拘った芝居を作り上げていて、それが普遍に繋がりえているか、そしてそれが、どんなに稀有なことであるかを思い知る機会ともなった。

最初から普遍ぶらずに、思いっきり自分の「個」のところから始めないと、普遍でも個でもない連続ドラマが出来上がってしまう。一生懸命さだけでは許されないだろう
(ま、自分が一生懸命か、というのはあるが、少なくとも、オレ、かなり一生懸命観てるよ。どの芝居も)。

自分的に、唯一笑えたのは
「胸を病んでいるな。抵抗力が弱っている」
「ゴホゴホ」
ちなみに、劇中咳き込んでいたのはこの1箇所だけである。

燐光群 放埓の人

27/05/2007 マチネ

白状してしまうと、今まで観た燐光群の芝居の中で、最も面白かったのだ。

沢野氏の著作を(坂手さんによれば99%)手直しせずに役者が読んでいく。
芝居というよりもリーディングの様に言葉が編まれていくのだけれど、構成と演出と役者とで1つの芝居になってしまった。
その編み上げ方の力強さと美しさに、思わず見入ってしまった。

特定の本とか作者とかを下敷きにした芝居って、大抵面白くないという印象があるのだけれど、そういう先入観も覆してしまった。

役柄が入れ替わる。ナレーターと役者が入れ替わる。時に複数の役者が一つの役を引き受ける。そんな中で、沢野氏の本の中のキャラクターが、坂手さ んに憑依し、その憑依された自分をこれまた役者に憑依させ、その憑依させている自分を自覚しながらちょんと突き放してみたり、観客がそれをどう観ているの かを試すかのようにはぐらかしを散りばめる。

最後まで飽きずに観たが、終わってみれば2時間20分。長かった。だが、堪能した。

唯一気にかかるのは、「自分は今後一切沢野氏の著作を読まないのではないか。何故なら、今日の芝居以上に面白くならない可能性が高いから」という心配である。

2007年5月27日日曜日

ジェットラグプロデュース バラ咲く我が家にようこそ。

26/05/2007 マチネ

シアターサンモールは、見事なまでのプロセニアム劇場なのであった。そして、客席の傾斜も穏やかで、さぞかし後ろの席は遠かろうと思わせる小屋である。

確か90年代前半にここで嫁さんと(おそらく結婚前に)「マシュマロ・ウェーブの「二次元劇団エジプト」を観てショックを受けた、はずだ。ちなみにそれには青年団の永井秀樹さんも客演していた。

とまあ、それ以来の久し振りのサンモールなのだが、なんだか女性客多い。誰を目当てで来ているのか?まさか夏目慎也ではあるまいが。とにもかくにも、気合の入った客が入った小屋は良い。上演中携帯でも鳴らそうものなら何が起こるかわからん。

舞台には緞帳が下がっていて、それは、プロセニアムだからおろしとかないと格好が付かないという演出の判断なのか、格好は付かないけどこれくらいはしないとやられっぱなしになってしまうという判断なのか。開演を待つ。

で、(中略)、終演。緞帳が降りる。

・演出、舞台、照明、プロの仕事である。さすがだ。
・帰り際、楽屋口で坂口芳貞さんが独りでタバコを喫っていた。
・山本雅之、NOVA効果なのか、客席が安心してみていた(笑っていた)感じ。コマーシャルで露出するのも悪くない。
・細かな演出のつけ方がさすがで、手先・足先、そういうところに目をやれば退屈することは無かった。
・「一番大きなところでの舞台空間のフレームの嵌め方」と「ひどく細かい眼のやり場」が並存する芝居。誰に何を見せるかの制約がかなり明らかな芝居の演出を引き受けたときに、「さて、どうでる?」という勝負を余儀なくされるのは果たして本意か?
・いや、実は、芝居に本意も不本意も無い、か?

この芝居は、誰に愛され、誰に愛でられるのか?
そんなことを考えて新宿駅に向かった次第です。

2007年5月21日月曜日

プリセタ ロス

20/05/2007 ソワレ

これはまた変な芝居を観てしまった。

というのも、この芝居が、
「どの登場人物もお互いのいうことを全く聞いていない」
ことによってドライブされていく様は、
「会話によって(明示的にせよ暗示されるにせよ)物語が紡がれていく」
芝居に慣れた僕にとっては、かなり気持ちの悪い進み方で、その、コミュニケーション不全から全てが成り立っていて、かつ、どこにも行き場の無い展 開、誰も何に対しても落とし前を決してつけない物語、なのに、細部のアンサンブルにさえも無頓着なそぶりを装う舞台が、なんと1時間40分観るに耐えてし まう、というのがまた驚きというか、不気味なんである。

特にうわっ、と思う役者もいないし(失礼!)、これはすごい、とうなるシーンも無い(これまた失礼!)。
でも、この、何だかぬらりひょんとした時空を最初から最後まで築き通してしまう力は、買う。

この、一見したところ力のある役者達が、「細かく作るんじゃなくて、エンターテイニングに仕上げるぜ」というので作った芝居が、実は何だかエンターテイニングというよりはへーんな出来上がりで、でも、へーんななりに観れてしまうということ。

マイルスが、「これからはダンスやるぜ」と頑張ったのにもかかわらずマイルスの音楽じゃとてもじゃないが踊れなくて、それでも70年代前半のマイルスは何だか良く分からないけど何回も聞いてしまう(Live EvilとかAgarthaとか)、まるでそんな感じだ。

もしかするとうまーく騙されているのかもしれない。いや、本当は面白いのかもしれない。いやいや、実際のところは面白くないのかもしれない。

今日のところは、少なくとも、楽しんだ。またも、Guilty Pleasure という言葉で誤魔化さざるを得ない状況である。