2007年6月21日木曜日

本当に痛そうだ。

お下劣なニュースですみません。

http://news.bbc.co.uk/1/hi/4253849.stm

日本でもひょっとしたら既に報道されているかもしれないが。

・「強く引っ張ったら取れた」ことに対する驚き。
・それをまた飲み込もうとしたことに対する驚き。
・それがAmandaの口から吐き出された瞬間と言ったら!
・吐き出したそれを、「これ、お前のだろ」と言って元の持ち主に手渡した友人の心持はいかに。
・そして、これだけのことをしておいて、「私は人に暴力を振るうような女じゃないのよ」と言ってのけるAmanda Montiよ。君は一体。

BBCの人気ニュースから引用させていただきました。

2007年6月19日火曜日

グリング ヒトガタ

18/06/2007 マチネ

上手い。上手い。も一つついでに、上手い。
とても上手く書けていて、凡百の戯曲家志望が来ていたらもういやんなって戦意喪失しちゃうくらいに上手く書けている。

登場人物の設定、過去の経緯、深刻一直線にもっていかない外し方。キャラクターも直球、変化球、ナックルボール、頭を狙ってくるタマ、と使い分けて、観客に的を絞らせない。飽きさせない。本当に(良い意味で)隙の無い、ズルい書き手だ。

で、この非常に出来の良い芝居を、僕は、
「いつ、どこで、ウェルメイドに落ちるだろうか」
とハラハラしながら観ていたのである。ウェルメイドまであと1㎜。そこで僕はこの芝居に興味を失うだろう。
と、一方で、
「なぜ、僕は、そういうネガティブな期待を半分抱きながらこの芝居を観ているのか」
とも考えていた。

その理由は、敢えて挙げるとすれば、
「観客がキョロキョロと視線を泳がせる余裕が与えられていない」
ことかな?それには、多分、二つの要素があって、
・余りにも隙が無いので、役者が駒として動くのは当然としても、観客の視線までもが作・演出の意図に100%はまるように作られているから。
・芝居のペースが割合に速くて、余計なことを考える暇が観客に無いから。

僕としては、「ちょ、ちょっと、待ってください。もうちょっと、この芝居から思いもよらぬ破れが裂けて出てくる瞬間を探させてください」と言いたくなる。
それを許さない、という意味で、非常に厳しい芝居であるともいえる。
はなから「客に100%与える」だけの芝居に走っていたら、それは、ただのウェルメイドなのだろうけれど、どことなく、僕には、「観る側の力を試されている」ようにも感じられた訳です。

次も観てみたい。目の玉をひん剥いて観てみたい。ウェルメイドに落ち込まない裂け目を、今度こそ覗いてみたい。でも、もう半分は、「ちぇ、ウェルメイドだったぜ」になるかもしれないというネガティブな期待感。本当はどっちだ?

2007年6月18日月曜日

鋼鉄村松 P型柔道一門

17/06/2007 ソワレ

この劇団名、気合入っていそうだ。
プロレス技が連続で炸裂するマッチョな劇団を予想していったら、やはりプロレス技や柔道技(タイトル通りか)が出てきた。

展開の出鱈目さも、最後、みんなで仲良く暮しましたとさ、のところも、信長観光旅行も、良い。それは、作り方としてOK。

でも、巧拙を問われれば、拙。

間を空けないとか、がなりすぎないとか、聞いて飽きる台詞は速く言ってしまって逃げ切るとか、そういうことをしてみて、テンポまで考えないと、折角の大技が活きないだろう。

若い劇団と見受けた。他の芝居(面白いのもつまんないのも)もっと観て、何が観客にとってたるい瞬間か、を覚えると、もっと良くなるんじゃないかと。
とか考えながら観てて、われながらジジ臭い。あー、やんなった。芝居そのものより、自分のジジ臭さがたまらん。
でも、僕の思ったことを素直に書くと、上の通りです。

2007年6月17日日曜日

風花水月 ホタルカワ

16/07/2007 ソワレ

チラシに前田司郎氏が「面白いかどうかは何ともいえませんが、とりあえず観てみて判断しても良いじゃないかな、と思わせるくらいの何かはあるんじゃないかな、と思わせるくらいです。まあ普通じゃないでしょう」と書いていたので、観に行った。

確かに、芝居って、観てみないと判断できないのが醍醐味なので、それは当たっていた。でも、「普通じゃない」というのは、外れていました。

祖母の葬儀にやってきた四人きょうだい。そこで展開する微妙な人間関係のさざなみ。設定としてはスタンダードで悪くないでしょう。

ただし、だ。
・ここがどこかという舞台設定の状況説明に30分はかけすぎ。嫁の台詞が、おしゃべりに名を借りた説明台詞の連続技である点について自覚できているか?これでは役者がかわいそう。
・続く20分が4人きょうだいの現状説明のおしゃべり。これも時間かけすぎ。
→ この50分間、芝居は一切立ち上がる気配を見せない。90分の芝居でこれは致命的だ。

アンケートにも書いたけれど、1時間15分くらいのところで、夫婦が頭を下げるシーン。ここから芝居が立ち上がる気配を見せる。でも、すぐ終わりに差し掛かっちゃうんだよね。
例えば、岩松芝居だったら。
「暗転板付き。畳の上で頭を下げている夫婦。"まぁ、頭上げてくださいよ。フフフ"で夫婦はけて、そこからダラダラと会話続きつつ、冒頭の夫婦の投げかけたテーゼを巡ってきょうだいの今の神経症的関係性と過去の生い立ちが...」
例えば、平田芝居だったら。
「夫婦が頭下げているところに葬儀場の係りの人が来て、段取りのことで夫を呼び出す。そうこうしているうちに、夫婦がしたい話はなかなか出来ず、話が進まなくて観客いらいらする...」
例えば、前田芝居だったら。
「暗転板付き。三女がトランプぺしぺしめくりながら、"売る、売らない、売る、売らない"とひたすら花占をやっている...」

そういう展開の方が、面白かったんと違うかい?分かった口のきき方をして申し訳ないけれど。
結論は: 説明台詞を削るのには命を賭けろ。いくら姑息でも構わない。

ワンマン・ショー

16/06/2007 マチネ

終演後最初の感想は「オレ、疲れてるのかな?」。
観ながらずっと考えていたことは、「本当に上手に書けているな」。

こんなにも上手に書けている芝居であるにも拘らず、開演から終演まで、ついに「はいれずに」終わってしまったのだ。

冒頭のシーンは、つかみとして上々、その後大団円に向けて何か仕掛けがあることを予感させる。
その後展開するシーンは適度に人間関係を「説明」しながら一方で「その場のやり取り」を展開させ、同時に「伏線」もきちんと張っておいて、ラストに向けてきっちり風呂敷を閉じる。
本当に良く出来た構造で、非の打ち所が無い。

舞台も左右の傾斜がアクセントになっていて、傾斜舞台で真っ直ぐ立ったり座ったりという演技って実はきつくって、大変だろうな、何て思いながら観ていたのだけれど。

でも、この遠さはなんだろう?
何だか、プロセニアム劇場以上にプロセニアムがはまっている感じ。芝居のテーマからいって、「作り物感」を出したいということなのだろうか?うーむ、そうだとするとちょっと違うような気もするし。
でも、役者の演技自体が気に食わないわけでもなかったんだけどなぁ...

とにかく不思議だ。小屋で観ているにもかかわらず、教育テレビで芸術劇場観ているかのように芝居が展開していくのだ。
最近読んだ本のフレーズを借りると、「一枚の薄いヴェール」が僕の座る客席と舞台の間に終始かかっていたのだ。

わざと遠く創っているのであれば、「それは違うんじゃないか」と言おう。
僕に原因があるとすると、それは、
①芝居を観るときはいつも万全の体調で
という標語か、あるいは、
②残念ながら僕の趣味は若いお洒落な感性についていけてない
のか、そのどちらかだろう。何だか、スズナリで観てみたい。
(と思ったら、次は吉祥寺シアターか。微妙なプロセニアム感ですね。)

2007年6月11日月曜日

タテヨコ企画 ムラムラギッチョンチョン

10/06/2007 ソワレ

俺、本当に、横田くんの芝居、好きだなぁぁー。好きだよ。
この劇団の芝居は、本当に、もっとたくさんの人に観てもらって欲しい。

坊さん修行シリーズ第三弾(でも僕は初めて観る)。脱走した若い僧を取り戻しに、仲間の修行僧達が田舎の旧家までやってくる。という話。

いわゆる一幕ものの現代口語演劇のカテゴリーにしっかり嵌まり込み、臭い演技を排除しつつも、飽くまでエンターテイニングに、観客を飽きさせないようサービス精神旺盛な作りこみ。

かつ、この役者たちを観よ。他で客演しているのを見ても、いわゆる獣系、鎖でしっかり繋いどかないとどんな演技するかわかったもんじゃないような役者が勢ぞろいする中で、それを立派に飼いならす演出の力にも瞠目する。
他から客演する猛者どもについても同様。

が、それらを踏まえた上で、何といってもこの劇団の物凄いところは、

「芝居全体が横田修の<いい人>な人格で溢れている」

ところである。そしてそれを、役者たちが嬉々として演じていることである。こんなに幸せそうに芝居してる連中には滅多にお目にかかれない。
(もちろん、外から見るのと実際に中に入るのとは大違いで、実話として、僕が舞台に立っているのを見て「こんなに楽しそうに芝居ができるものなのか」と勘違いして舞台に復帰したらやっぱりつらかった、という人間を一人知っている)

でも、こんな芝居、ここまでの良い仕事ができるのなら、喜んでだまされてみたい、と思わせる。

コアとなる役者だけでなく、ワキにも実力のある役者を配して、いや、本当に良い芝居を見た。
あ、そういえば、修行僧たちって、実は、アングラ正統派の三人組の流れをきっちり踏襲していたぞ。そこんとこもおじさんにとっては堪えられないかも。

シリーズ前作では舘さんが坊主頭になっていたと聞いて、それがとてもとても楽しみだったのだけれど、受付に普通の髪型の舘さんがいて、ちょっとがっかりでした。
舘さんいつもながら面白いのだけれど、お尻を掻くところはちょっとあざとすぎでした。ま、そこは、ご愛嬌、といったところで。

一体、こういう良い芝居を、どうやってもっと沢山の人々に観てもらえるようにするのか。
動員を狙って芝居を変えるのは本末転倒だろう。
逆に言えば、このテの芝居は、マス消費がしにくい、売りにくいということなのだろう。
だから、飛びつくやつらが出てこない。
ファストフードを食べるのりで観にくる客もいない代わりに、動員がブレークすることもない。
横田修の<いい人>ぶりまで消費されちまったらそれは大変なことで、1ファンとしては、このままブレークしなくてもいいかな、と思ってしまうのだが、また、それも、良くないんだろうな、きっと。

Ronnie Rocket ともだちのともだち

10/06/2007 マチネ

Ronnie Rocketと言えば、僕にとってはイングランドのスヌーカーのスター、Ronnie "the Rocket" O'Sullivan
である。
それで、この劇団名もそこから取った、わきゃないよな、と思いながら下高井戸は青の奇蹟へ。
生まれて始めて下高井戸の駅で降りた。
(後で調べて見たら、David Lynchの未完のフィルムのタイトルみたいですな。失礼しました。)

なぜ、この芝居を見に行く気になったか?
① 僕は、小さな小屋に弱い。それも、男芝居の、かつ(おそらく極端に小さい小屋での)4-5人の芝居には弱い。
② 劇団名に引っかかるものがあったから(結局は誤解だったが)。
③ チラシの時点で、90分一本勝負にこだわっている様だったから。

で、ほぼ期待に違わぬエンターテイニングな90分。
男6人、狭いアパート・喫煙所を舞台に繰り広げるなんてことはない都市伝説ホラー、なんである。
これでもかこれでもかと都市伝説を繰り出し、出てくるそばからもぐら叩きのようにつぶして時間をドライブしていく。
だが、大事なのは狭い空間の中での暑苦しい男たちのどこにも出口の無いおしゃべりであって、物語自体ではない。
物語は、あくまでも、刺身のつま。そこに好感が持てた。

そもそも僕は小さな小屋で役者が極端に近いところで演技しているのが好きで、というのも、ちょっとしたこと
(例えば、靴下の脱ぎ方とか、足の指でグーチョキパーするとか、ダンボールとダンボールの間を指で揃えてみるとか、タバコの箱とライターをずっといじってるとか)
がよーく見えて、そういうものの積み重ねが、
「作り物としてのハイパーリアル」
ではなくて、
「今、ここに、役者がいることのリアルさ」とウソンコの台詞を喋っていることとのギャップの面白さ、
に繋がると考えているからなのだけれど、この、まさに極端に狭い小屋で、そこら辺を堪能したわけです。

青の奇蹟から表に出ると、何と雨が上がっていて、暑いくらいでした。